13日間で「名文」を書けるようになる方法


13日間で「名文」を書けるようになる方法13日間で「名文」を書けるようになる方法
(2009/09/04)
高橋 源一郎

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最近ブログを更新するようになったのは、仕事が変わって時間ができたというのもありますが、むしろこの本の影響のほうが大きいかもしれません。
作家であり、明治学院大学教授であり、僕には競馬好きとしてもおなじみの高橋源一郎氏が、明治学院大学で行っている「言語表現法講義」という授業をまとめた一冊。
タイトルからは、テクニック本のような印象を受けますが、実際の中身は、古今東西の高橋氏が好きな文章を紹介しながら、文章とは何か、言葉とは何かを学生と一緒に深く考える内容。

僕は1日1講義を寝る前に読んでいたのですが。。講義を読み進めながら(講義自体もすごくおもしろい!)、著者と学生と一緒になって文章について考える時間は、気づくと毎晩の楽しみの1つになっていました。
そして、テクニックは何も身につきませんが、とにかく文章を書きたくなるのです。
まさに名講義。この授業を生で受けられる学生さんがすごくうらやましい。

個人的に特に好きだったのが、ジブリのアニメにもなった「ゲド戦記」の原作者である、アーシュラ・クローバー・ル=グィンという作家による「左利きの卒業式祝辞」。
言葉を話すということ、書くということ、伝えるということについて、じっくり考え、好きになれる、ずっと手元に残しておきたい本です。

��以下備忘録)
わたしは、「文章」というものは、「赤の他人」に読んでもらうために存在していると考えています。そんなことは当たり前でしょうか?しかし、わたしの考えでは、実際はそうなっていないのです。「文章」というものは、どこかの「赤の他人」に伝える、というよりは、「なんとなくわかりあえる仲間」に向けて書かれる場合が多いのです。

わたしたちは、わたしたちの「人生」を長い、と感じます。退屈だ、と感じます。そして、なにか面白いことは起こらないかと呟くのです。だから、「人生」そのものであるような、うんざりするほど「長い」、単調な「小説」や「文章」なんかまっぴらだと思うでしょう。

「自己紹介」とは、それを読んでくれた人が、そのことによって、そのことをきっかけとして、もっとその人間のことを知りたいと思うような、なにか、のことです。

いまFさんは、その、たったひとつの「断片」を、確かめながら、ゆっくりと、それを書いた「わたし」の「全体」について想像してくれました。いまのFさんの話し方は、まるでワインが注がれたグラスを傾けながら、目を閉じ、その印象についてゆっくりと語るソムリエのようでしたね。(中略)つまり、そこで「仕事」をしているのは、誰よりも、つまり作者よりも、読者の方なのです。

なにかを見たら、そのままにしておいてはいけません。たぶん、あなたたちは、すぐに忘れてしまうからです。なにかと比べてみてください。あるいは、結びつけてみてください。

面白いのは、時には、「効率的」なことばより、そうでないことばの方が、ずっと遠くまで届いてしまうことなのです。

「ラヴレター」は、たったひとりの「読者」を想定し、その「読者」に向かって書かれます。わたしたちは、誰に向かって書かれたのかわからない「文章」より、自分だけに向かって書かれた「文章」を、自分にとって価値があるものと考えるでしょう?そして、あらゆる「文章」は、「読者」にとって、そのように思われるよう書かれるべきなのです。

わたしたちは、相手を「知らない」から「恋に落ち」、その結果、相手を知ろうとして、やがて、その「恋」を失うのです。

あることについて、更に詳しく知ろうとして、本を読んだり、インターネットで調べたり、それから、誰かの意見を聞いたりしていると、その結果として、もとのそのものから、目を離してしまうのです。

グレーゴルは、世界の無理解と引き替えに、世界を理解することができたのです。

「右利き」の人々は、自分たちが「右利き」であることに無関心だということです。もしかしたら、「右利き」であることに気づいてさえいないかもしれません。それが「多数派」であることの意味なのです。

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