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最近読んだ本(8−9月)


引き続き。
今度は8-9月に読んだ本(の中でおもしろかったもの)を備忘録的に。

大前研一「企業参謀」
企業参謀 (講談社文庫)企業参謀 (講談社文庫)
大前 研一

講談社 1985-10-08
売り上げランキング : 561

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稀代のコンサルタントによる古典的名著。
氏はこの本を32歳の時に書いたという。うーん、敵わん。もっと考えなければ。


石井光太「絶対貧困」
絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)
石井 光太

新潮社 2011-06-26
売り上げランキング : 2886

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ずいぶん前から書棚にあった本。「情熱大陸」に著者が特集しているのを見て、思い出したように読書。
おもしろい。現地現物がいかに文章に説得力を与えるかがよく分かる。
もっと早く読めばよかった。ということで、さっそく著者の別の著書「物乞う仏陀」を購入。


リンダ・グラットン「WORK SHIFT(ワーク・シフト)」
ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉
リンダ・グラットン 池村 千秋

プレジデント社 2012-07-28
売り上げランキング : 52

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「未来の働き方」を考える本。巷で大人気ということで購入。
すでに自分が感じていることから、まだ身近には感じにくいことまで…次々とインスピレーションが湧いてくる至高の読書時間。
子どもがいると、今まで以上に考えるなぁ。。


飯森範親「マエストロ、それはムリですよ…」
「マエストロ、それはムリですよ・・・」 ~飯森範親と山形交響楽団の挑戦~「マエストロ、それはムリですよ・・・」 ~飯森範親と山形交響楽団の挑戦~
松井 信幸 飯森 範親

ヤマハミュージックメディア 2009-06-23
売り上げランキング : 32110

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指揮者飯森範親を得て、山形交響楽団が生まれ変わるまでの挑戦を描いたノンフィクション。
すごくうまくいった場面ばかりが書かれているので、もう少し大変だった頃の具体的なエピソードがあってもいいような。。軽い読み物。


高田郁「銀二貫」
銀二貫 (幻冬舎時代小説文庫)銀二貫 (幻冬舎時代小説文庫)
高田 郁

幻冬舎 2010-08-05
売り上げランキング : 5892

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すがすがしくて元気が出る青春小説。
活きるお金の使いかたをすること、謙虚であること、人を大切にすること、あきらめないこと…年をとっても青臭さを忘れてはいけないと再認識。


あとは読みかけの本が何冊かありますが、それはまた次回に。
しかし。。最近読書量が減ってるなぁ。。
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最近読んだ本(6−7月)


6-7月に読んだ本(の中でおもしろかったもの)を備忘録的に。

堺屋太一「歴史の使い方」「東大講義録 文明を解くI」「東大講義録 文明を解くII」
歴史の使い方 (日経ビジネス人文庫 グリーン さ 3-6)歴史の使い方 (日経ビジネス人文庫 グリーン さ 3-6)
堺屋 太一

日本経済新聞出版社 2010-01-06
売り上げランキング : 150825

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東大講義録 文明を解く I (日経ビジネス人文庫)東大講義録 文明を解く I (日経ビジネス人文庫)
堺屋 太一

日本経済新聞出版社 2010-11-02
売り上げランキング : 146788

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東大講義録 文明を解くII―知価社会の構造分析 (日経ビジネス人文庫)東大講義録 文明を解くII―知価社会の構造分析 (日経ビジネス人文庫)
堺屋 太一

日本経済新聞出版社 2010-12-02
売り上げランキング : 212423

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敬愛する堺屋太一による歴史講義。
根底に流れている思想はどの本も同じだけど、だからといって一冊読めばよい、というわけではない。
どの本をとっても毎回新しい発見がある。付箋が足りないくらいたくさんある。
しかも、これを入り口に、もっと多くの歴史本を読もうという気にさせられる。終わりなき歴史への旅への先導者的存在。再読間違いなし。

ランドール・ササキ「沈没船が教える世界史」
沈没船が教える世界史 (メディアファクトリー新書)沈没船が教える世界史 (メディアファクトリー新書)
ランドール・ササキ

メディアファクトリー 2010-12-21
売り上げランキング : 37248

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同じく歴史シリーズ。これが傑作!
堺屋太一のように学びがあるというわけではないけど、とにかく「へえ〜」と思うことの連続。
しかし、沈没船発掘って今でもやってるんですね。そしてそこから新しい歴史的発見があるというから驚き。

塩野七生「日本人へ リーダー篇」「日本人へ 国家と歴史篇」
日本人へ リーダー篇 (文春新書)日本人へ リーダー篇 (文春新書)
塩野 七生

文藝春秋 2010-05-19
売り上げランキング : 33929

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日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書)日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書)
塩野 七生

文藝春秋 2010-06-17
売り上げランキング : 98371

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塩野七生による時事評論。「国家と歴史篇」はいまひとつでしたが、「リーダー篇」では氏の深い洞察力とローマ史に裏打ちされた大局観、実利性、そして独特のリーダー哲学に頷かされること多数。
「政治とは、個人ではできない事柄を代わって行うことではないか」という言葉には深く感銘。


連城三紀彦「恋文」
恋文・私の叔父さん (新潮文庫)恋文・私の叔父さん (新潮文庫)
連城 三紀彦

新潮社 2012-01-30
売り上げランキング : 193640

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「私だけが犠牲になっているわけじゃないの。あなたは生命っていうもっと大きな犠牲払っているでしょう。私には、あなたと違って今失うものがあっても、それをとり返す時間があるわ。これ、私のギリギリの本心。だからあなたも本当のこと答えて」

どこかねじれた人間関係がテーマの短編小説。
美しい日本語、静謐な世界観、ミステリー作家ならではの後半でのサプライズ…1話あたり1時間の極上の読書。


アリソン・ゴプニック「哲学する赤ちゃん」
哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)
アリソン ゴプニック 青木 玲

亜紀書房 2010-10-27
売り上げランキング : 153009

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「子供と大人の間には、進化的に一種の役割分担ができあがっています。子どもはいわば、ヒトという種の研究開発部門に配属されたアイデアマン。大人は製造販売担当です。子どもは発見、大人はそれを実用化するのが仕事です。子どもは無数のアイデアを提案しますが、実はほとんどのものは使えません。実行可能な案はほんのわずかです。大人の能力、たとえば長期計画の立案、迅速で自動的な実行、シカやトラや締め切りへの熟練した対応と比べれば、赤ちゃんや幼児の能力など、まるでお話になりません。しかし、斬新な変革能力、それをもたらす想像力と学習能力で競えば、負けるのはきっと大人のほうでしょう。」

人間が進化する動物であることを切り口に、赤ちゃんとは何なのかを哲学する本。
子どもが生まれたこのタイミングで読んでよかった。彼に対する見方が変わりました。
子育てに悩んだら、時折ぱらぱらと読み返したい一冊。


それにしても、最近は歴史モノが多いなぁ。
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90ミニッツ



WOWOWの舞台モノ鑑賞第二弾。三谷幸喜演出による「90ミニッツ」。

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病院の一室、整形外科副部長の医師(西村雅彦)のもとに、ひとりの男(近藤芳正)が案内されてくる。9歳の少年が交通事故で担ぎこまれて手術を必要としており、男はその父親だった。手術には承諾書へのサインが必要だが、父親はそのサインを拒否。
90
分以内に手術をすれば助かるという状況。頑なに手術承諾書へのサインを拒否する父親と、まずは命を守るべきだと手術をするよう説得をする医師。それぞれが自分の正しさをぶつけ、本性をさらけ出し、打開策を見出そうとする中、少年の容態は徐々に悪化。緊迫の度は刻一刻と深まっていく。
WOWOW番組紹介より)
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人それぞれの「正義」があって、「唯一絶対の正義」などというものはない、という話。
こういう話を観て、両者の主張する正義が理解できたり、こういう時にどういう行動をとれるかって本当に難しい話だよなぁ、と思えるようになった自分が新鮮。
例えば、今回の話では僕自身がその場にいたらとるであろう正義は、大多数の人と同じく、迷いなく医師側だと思うんですが、かといって父親側の正義を「狂人の沙汰だ」と断罪して聞く耳を持たないって気分じゃなかったんですよね。
若い頃はこういう話を「頭でわかってた」だけで、実際にそういう場面に出くわすと頑なに自分の正義をふりかざして、それでお話にならないと会話終了、ってことが多かったですもん(まあ今でもそういう場面に出くわすとすぐ頭に血が昇って結果は一緒な気もしますが)。

そういうある意味でのバランス感覚だったり、器量が大きくなったというと言いすぎですが、そういう変化が自分のなかにおこったのは、やっぱり僕自身がここ数年で、マイノリティになる、という経験をしたことが大きいんだろうなぁと思ってます。
ドイツに住んで、「ドイツ人ではない」というだけでいやな思いをしたり、全く畑違いの業種に転職して、これまで正しいと思っていたやりかたを否定されたり。
マイノリティの掲げる正義って、ほとんどとりあってもらえないなぁ、という経験をできたことが、人生経験としてとてもよかったのだと思います。
まずはそういう境地に(ようやく)至った、ということが新鮮かつ少し嬉しい、ということ。

ただ、ここまでの話は単に僕が自己正義を振りかざすお子様だったというだけで、舞台を見ている多くの人は「これが世の中だよね」という感じだと思うのですが、やはりこの舞台の最大の見どころは、主役の2人が2つの正義の落とし所をどうやって見つけるか、だと思います。
落とし所というのは、単純に2つの正義の妥協点を見つける、という作業ではなくて、2つの正義が両立する第三の正義へと昇華する、というプロセス。
お互いがの正義に固執して物別れに終わるでもなく、しかし正義を捻じ曲げるでもなく。

舞台おもしろいなぁ。TVで見ても十分おもしろい。これははまりそう。


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わたしがマジョリティを嫌悪するのは、真の多数派など存在しないのに、ある限定された地域での、あるいは限定された価値観の中でのマジョリティというだけで、危機に陥った多数派は少数派を攻撃することがあるからだ。そしてマイノリティといわれる人々も、その少数派の枠内で、細かなランク付けをして、少数派同士で内部の少数派を攻撃することもある。
 忘れることのできない写真がある。それは大戦前のドイツでユダヤ人たちがひざまずいて通りを歯ブラシで磨いているという写真だ。その人物がある宗教に属しているというだけで、その人物の人格や法的な立場とは関係なく差別するというのはもっとも恥ずべき行為だが、わたしたちは立場が危うくなるとそれを恥だと感じなくなる。
 わたしはどんなことがあっても、宗教や信条の違いによって、他人をひざまずかせて通りを磨かせたりしたくない。それはわたしがヒューマニストだからというより、そういったことが合理的ではないというコンセンサスを作っておかないと、いつわたしがひざまずいて通りを磨くことになるとわからないからだ。
 わたしたちは、状況が変化すればいつでもマイノリティにカテゴライズされてしまう可能性の中に生きている。だから常に想像力を巡らせ、マイノリティの人たちのことを考慮しなければならない。繰り返すがそれはヒューマニズムではない。わたしたち自身を救うための合理性なのだ。
(村上龍「恋愛の格差」より)
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その妹



市川亀治郎×蒼井優の舞台「その妹」をWOWOWで鑑賞。原作は武者小路実篤。

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明治時代末期。画家として将来を嘱望されていながら、戦争で視力を失った野村(市川亀治郎)は、美しい妹の静子(蒼井優)とともに叔父夫婦の家に身を寄せていた。絶望となんとか折り合いをつけながら作家になる道を探る野村を、静子は筆記を手伝いながら献身的に支えて暮らす。そんな中、静子は叔父夫妻から意に沿わぬ縁談を迫られ、兄妹は苦境に陥る。
状況を知った野村の友人で編集者の西島(段田安則)は、野村と静子を支援することを決意。叔父夫妻のもとを離れた2人の生活費を、身を削って工面する。西島が友情を越えた感情を持ちつつあることを、妻の芳子(秋山菜津子)は敏感に感じ取っていた。
試練が続く中、自らを奮い立たせながらも、現実に押しつぶされそうになる野村。そのかたわらで、静子はある思いを胸に秘めていた…。
WOWOW番組紹介より)
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市川亀治郎、蒼井優の演技がすごい。
正直暗い話なんですが、会話のテンポのよさと舞台独特の声量の大きさのせいか陰気な感じにならずにぐいぐい引き込まれるし、日露戦争後という時代背景も正直あまり馴染みがないのに、2人の演技を見てるとなんとなくその時代にいるような錯覚を覚える。
舞台モノをTVで見るのってどうなのかと思ってましたが、ある意味映画より緊張感だったり迫力だったりがあるような気がします。
もちろん観にいくのはもっといいんでしょうけど。

「思い通りにならないことばかりでも、生きてさえいれば希望がある」という、どこか使い古されたような格言は、辛い現実を前に絶望している人にかける言葉としてはあまりにも無責任に感じてしまうし、実際そんな言葉をかけられたからといって、それだけで当の本人が前を向けるほど簡単ではない。
人からかけられる言葉としてではなく、当の本人が自らの信念としてその言葉を語る場合にのみ、この格言は人生を光を差し込むことができる。
静子(蒼井優)はそういう強さと輝きを持った人間であった。

僕もそうでありたい。
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The Innovator's DNA III

引き続きテレビ番組。最近イノベーションが頭にひっかかってて、何見ても同じこと考えてしまうんですが。。
ノンフィクションWでニコラ・フォルミケッティの特集を見る。こちらは料理ではなくファッション。
レディー・ガガのファッションディレクターとして知られるニコラ・フォルミケッティ、34歳。
イタリア人の父と日本人の母の間に生まれた彼は、現在NY、ロンドン、パリ、東京を股に掛けて活躍し、老舗ブランドから「ユニクロ」まで、幅広く手がけるファッションディレクターだ。
先鋭的なガガの衣装、誰もが着たいと思うユニクロの服、雑誌の表紙を飾るハイファッション…。
そのボーダレスな創作活動の源にあるのは、ファッションを専門的に学んだ経歴がなく、自己流の現場主義ですべてをつくり上げてきたこと。そして、12歳まで日本で育った彼ならではの「イーストミーツウェスト」のセンスだ。
“時代の寵児”と言われる彼の活動を通して、“ボーダレスであること”の意味を探る。
(以上番組紹介より)

レディー・ガガ、ユニクロ、フランスの老舗ブランド「ミュグレー」の再生、ヴォーグオムジャパンのビジュアルディレクター、そして生誕地である沼津での婚礼レストランまで、複数の案件を同時進行で抱えるニコラ。
頭の切替が大変そうに思ってしまうものだが、逆に全く毛色の違うテーマに取り組むことでクリエイティブなアイディアが浮かぶそうだ。
今抱えている仕事や気になっているトレンドなんかの写真を壁一面にグループごとに貼って、それを眺めながら異なるテーマ同士の組み合わせからアイディアを発想するやりかたはおもしろいなと思った。
やっぱり視覚的にとらえていくのは大事だなと。
もう1つ。ヴォーグオムジャパンの編集シーンでの一コマ。
「ニコラは、『雑誌を作っている』という感覚じゃないんだと思うんです。常に雑誌を通してファッションの未来を考えているというか。彼からのインプットは、視座が一段も二段も違う」
目の前のイシューに埋没せずに、どうやって未来志向であり続けるか。常に先を読む力を無意識のレベルまで昇華するには何が必要なのか。
それにしても、彼は小学校までは日本(沼津)、中学でロンドン、高校はローマだそうだ。
日本人であるというアイデンティティをしっかりと育くんだうえで、国際人への階段を用意する。
子育てはまさに一大プロジェクトだなぁ。
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ヤコブへの手紙


70年代のフィンランドの片田舎を舞台に、刑務所から出てきたレイラと、人々からの手紙を待ち続ける盲目の老牧師ヤコブ、手紙を届ける郵便配達人の3人が紡ぐ、手紙を巡る物語。

ヤコブは届けられる手紙に書かれた相談に真摯に向き合い、差出人に髪の加護があるように祈ることが自分が生を受けた使命だと信じ、目が見えなくなってもレイラに手紙を読んでもらい、返信を書いてもらいながら使命を果たそうとする。
一方のレイラは、過去に犯した犯罪のために自らが生きる意味を失ってしまった。彼女には、盲目になりながらも誰の役に立っているかもわからないような日々を送っているヤコブが理解できないし、嫌悪感すら感じてしまう。
レイラはヤコブに必要とされることで、徐々に自分が誰かの役に立っていることを実感していく。

僕らは人に頼る時、相手に迷惑ではないかと考え、できるだけ自分でやることが相手にとってもいいことだと考えてしまいがちである。
しかし、人に必要とされることを通してしか、人は自分が生きている意味を実感できない。
人に頼りにしながら生きることが、周りの人を生かすことに繋がる。
そんなことを考えながら、ゆったりと流れる時間を旅した火曜日の夜でした。

ヤコブへの手紙 [DVD]ヤコブへの手紙 [DVD]

エプコット 2011-09-30
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Doubt can be a bond as powerful and sustaining as certainty


新年初投稿にして既に1月末ですが。。。今年もよろしくお願いします。

年始に「ダウト/あるカトリック学校で」という映画を観ました。

ダウト/あるカトリック学校で [DVD]ダウト/あるカトリック学校で [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ 2012-02-08
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それほど期待せず、なんとなくWOWOWで録画していた映画だったので、妻には「そんなにおもしろくないかもしれないから、一人で観るよ」と話してたくらいなのですが、これがとんでもなく素晴らしい映画でした。

1960年代のカトリック系学校が舞台。
校長であるシスター・アロイシス(メリル・ストリープ)は、人望のあるフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)が教え子である一人の黒人少年と性的な関係にあるとの「疑念」を抱き、神父を執拗に追い詰めていく、というストーリー。

何がとんでもなく素晴らしいと感じたかと言えば、この映画、始まりから最後まで「無駄なセリフが一つもない」のです。
全ての登場人物から発せられる全ての言葉が、含蓄に富み、深く考えさせられ、脳を刺激されるものばかり。
そこで語られる内容も、自らの信念を貫くことの孤独と恐怖、人間の持つ先入観と偏見、理想あるいは正義と現実との折り合い、本当の意味で社会的弱者を助けるには…などなど、生きている限り誰もが自問自答せざるを得ない命題ばかり。
そして、これほど難解で濃い内容でありながら、視聴者に退屈させないメリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの鬼気迫る演技。
観終わった時には、これほど密度の濃い2時間が他にあっただろうか、とひどく感動し、新年一発目でこれほどいい映画に出会えた偶然を本当に嬉しく思いました。

まだ観てない方にはぜひおすすめしたい作品です。
What do you do when you're not sure?
That's the topic of my sermon today.

Last year when President Kennedy was assassinated, who among us did not experience the most profound disorientation?
Despair?
Which way? What now?
What do I say to my kids?
What do I tell myself?
It was a time of people sitting together, bound together by a common feeling of hopelessness.

But think of that.
Your bond with your fellow being was your despair.
It was a public experience.
It was awful, but we were in it together.

How much worse is it then for the lone man, the lone woman, stricken by a private calamity?

"No one knows I'm sick. " "No one knows I've lost my last real friend. "
"No one knows I've done something wrong. "

Imagine the isolation.

Now you see the world as through a window.
On one side of the glass, happy untroubled people, and on the other side, you.

I wanna tell you a story.

A cargo ship sank one night.
It caught fire and went down, and only this one sailor survived.
He found a lifeboat, rigged a sail, and being of a nautical discipline turned his eyes to the heavens and read the stars.
He set a course for his home, and, exhausted, fell asleep.

Just keeps going on.
Clouds rolled in, and for the next 20 nights, he could no longer see the stars.
He thought he was on course, but there was no way to be certain.
And as the days rolled on, and the sailor wasted away, he began to have doubts.

He just keeps on going.
Had he set his course right?

Was he still going on towards his home?
Or was he horribly lost and doomed to a terrible death?

No way to know.

The message of the constellations, had he imagined it because of his desperate circumstance?
Or had he seen truth once, and now had to hold on to it without further reassurance?

There are those of you in church today who know exactly the crisis of faith I describe, and I wanna say to you, doubt can be a bond as powerful and sustaining as certainty.

When you are lost, you are not alone.
In the name of the Father, the Son and the Holy Ghost. Amen.
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「奇貨居くべし」に学ぶ5つの人生訓(2)


人生訓その2は、「2. 日々の積み重ねが未来を形成する」です。


ーわたしは運がよい。
と呂不韋はおもう。奴隷にされるという最悪なときに、孫のようなすぐれた先生にめぐりあえて、教えをうけることができた。人の力を過大に考えるわけではないが、努力を積み重ねてゆけば、人はおもいがけない力を発揮するようになる。自分が自分におどろくようにならねばならぬ。不運や不遇を嘆き、他人の薄情さを怨んでいるうちは、自分が自分を超えていない。努力が足りないあかしである。ほんとうの高みに登れば、展望がひらけ、風が変わる。人の世の風も変わるのである。

「理由のないことは起こらない。自分からでていったことは自分にかえってくる」
と呂不韋は孫子にさとされたことがある。
未来は起こるのではなく、起こすものであろう。自分の現在と過去からでていったものが、未来としてかえってくるのではないか。
呂不韋はそうおもいたい。

一日に千里を走破する馬に乗ってしまった者は、一日に五十里しか走らない馬にいらだつであろう。しかし呂不韋は千里の馬に乗ろうとはおもわない。五十里の馬が二百日歩きつづければ、一万里のかなたに到着する。歩きつづけることのほうが大切なのである。呂不韋はそう信じている。



呂不韋はある時期、秦の捕虜となり、奴隷として穰邑に連れていかれるのですが、そこで孫子(荀子)と出会います。
奴隷にまで堕ちた自分に絶望していた呂不韋でしたが、荀子に出会い、荀子から学ぶことで努力し続けることの尊さを知り、以降の彼はとにかく未来に向けて歩みを止めずに進み続けます。
小さな努力の積み重ねで彼は最終的に秦の丞相まで昇りつめ、さらに理想の世界の実現にむけてそこから努力し続けます。

仕事にしても私生活にしても、とかく我々は一足飛びに結果を求めがちで、なかなか結果が出ないことは途中で諦めてしまいがちですが、ゴールを見失わずに少しでも近づいていこうとすることがどれほど重要か。
誰しもそうやって掴んだ成功体験を持っているのに、新しい困難や挑戦にあたるとそのことを忘れてしまいがちです。
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「奇貨居くべし」に学ぶ5つの人生訓(1)



奇貨居くべし 天命篇 (中公文庫)奇貨居くべし 天命篇 (中公文庫)
宮城谷 昌光

中央公論新社 2002-04
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少し前にも書きましたが、宮城谷昌光の「奇貨居くべし」がようやく読み終わりました。

実に人生訓に富んだ傑作で、「本からの学び」という意味では「孟嘗君」以上ではないでしょうか。
孟嘗君は貴賓に生まれ、生まれながらの大才、という印象ですが、呂不韋は商人の子として生まれ、家族の愛から遠かったり、奴隷になったり、命を落としかけたり、苦難の連続の中で成長していくので、大業を成し遂げる人と平凡に生きて終わる人との違いが浮き彫りになっていたように感じました。
まさに座右の書。何度も読み返すべき本だと思います。

呂不韋の生きかたの中で、僕が特に肝に銘じておくべきだと感じた5つの人生訓を書き残しておきたいと思います。
相当長くなりそうなので、1つずつ。


1: 人を活かすことが自分を活かす

孟嘗君をみて、呂不韋ははじめて人に接することのおもしろみをおぼえた。ことごとしさをまったくあらわさずに、人を惹きこんでゆく心のありかたを我儂のものにすれば、人生はずいぶん豊かなものになるであろう。張苙が悍馬であるとすれば、それを馴らしてみたい。おのれの性質に適わぬ者をしりぞけ、あるいは避けつづけていては、いつまでたっても人としての度量はひろがらない。


「失礼ですが、蔡氏は、他人に与えずして自己を富まそうとしているようにみうけられます。無知といわれる農人でも、種を播き、水をあたえねば、穀物を得られぬことを知っております。虚空に種をとどめ、水をやることを吝しんでいては、どうして天地のめぐみを得ることができましょうや」(呂不韋)

藺相如と黄歇は国家のためにおのれを殺してもかまわぬ、いわゆる忠義の姿勢を保持している。しかし孟嘗君と魏冄は、おのれを活かすことが人を活かし、国家をも活かす、という心の構えかたをつらぬいている。死ぬということに、誉れも、美しさも、みない。
「活人」
とはそういうことではないか。人と歓びあうことが精神の基礎である。

儒家の教えは、命令と禁止のくりかえしである。ああせよ、こうしてはならぬ、ということばを発する力の源には大衆の知力を低くみる支配者の伝統が生きている。だが、道家は命令も禁止もしない。道を示すだけである。その道を歩こうとすれば、とたんに変幻する道である。呂不韋は孫子から多くのことを学んだが、貴門のうちで家臣を頤使するわけではない呂不韋は、巷にあって道家の教えにそった生きかたをえらんだ。人を救うことによって人に救われ、人を富ますことによっておのれも富んだ。こまかくみれば、物をあたえて、人を得たのである。人ははじめから広い世界をもっているわけではない。呂不韋もおそらくそうで、しかし呂不韋は人を得ることによって、世界を広げてきたのではないか。

まず1つめは、なんといっても「人を活かす」です。これは、「奇貨居くべし」だけでなく「孟嘗君」でも「管仲」でも共通していて、宮城谷小説が理想とする人の生きかたの核となる部分のように感じます。
「人のために生きれば自分も生きたことになり、加えて富も舞い込む」というのは、そもそものビジネスの意義が世の中をよりよくすることにあることを思い返すと当たり前のことなのですが、当たり前だけに忘れてしまいがちで、つい自分中心に考えてしまいがちなんですよね。。
ビジネスの世界では、日々様々な課題に対して「何が正しい意思決定なのか」「失敗のリスクをどうコントロールするか」に知恵をしぼるわけですが、僕はある時から、ビジネス上の意思決定に正解はなく、であるがゆえに、「自分が世界とどう向き合いたいか」「世界をどう変えたいか」を常日頃から考えることが重要で、意思決定とはその価値観を世に問うことであり、それが社会人の醍醐味だ、と思ってます。

「奇貨居くべし」では、その重要さを再認識させられた思いでした。
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経済危機のルーツ



経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか
野口 悠紀雄

東洋経済新報社 2010-04-09
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日本経済のこれからを考える上でよいインプットをくれた本。非常に有意義な読書。

日本が製造業依存から脱却しなければならないと言われだして久しい気もするし、ものづくりこそ日本の強みという論調が今でも根強いような気もしますが、僕個人としてはやはり製造業依存から脱却しなければならないように思います。
(厳密に言うと、アッセンブリーまでを自分でやるというモデルとしての製造業のはもうやめたほうがいいし、自社ブランドにこだわる必要もない、ということ)
アッセンブリーは労働集約的で、人件費の高さがネックになるし、この本に書いてあるとおり歴史的にも製造業は一人当たりGDPが相対的に低い国が、通貨価値が相対的に安いことと相まって世界を牛耳っているのだから、そういう意味でも日本の役目は終わったのでしょう。

製造業という意味では、以前に書いたように、「Appleのiphoneの利益の約35%は日本企業が取っていて、それは他のどの国よりも多く、iphoneが売れて一番もうかるのは日本」みたいな中間財でもうけるビジネスモデルが理想だと思ってます。
「細部にまでこだわる」といわれる日本人気質は、完成品でやっちゃうと「過剰スペック・高コスト」という負の側面に陥りがちだけど、部品とか素材レベルでは「高い技術力に裏打ちされたキーデバイス」といったようなプラスの側面が作用する可能性が高いように思うので。

一方で僕は、ドイツ駐在時の日常生活での体験や、欧米人の同僚との会話から、日本の最大の強み(欧米人が真似できない、かつ尊敬していること)は"politeness"や"hospitality"だと実感し、であるがゆえにサービス業の海外輸出を今後のキャリアディベロップメントの柱に据えようとまで考えているのだけど、ここでいうサービス業ってなんだ!?というのが問題。
というのも、politenessやhosipitalityと聞いてすぐに思いつく産業は観光・ホテル業だったり外食産業だったりですが、問題はこれらの産業がどちらかというと労働集約的で、労働生産性が低く、たとえ製造業からこれらのサービス業に産業構造を転換したとしても、国の生産性を上げることにつながらなさそうなのです。
politenessとかhospitalityって人の性格として蓄積されていくものなので、素直にアウトプットをすると労働集約的なサービス業、となるのはある意味当然なのですが、それではだめだというのを本書を読んで再認識させられました。
人がそのままやることではなく、そういう人たちだからこそできる産業だったり、プラットフォームだったりに転換できるといいのですが。。
医療とか、アニメやコミック含むコンテンツとか。。このへんは引き続き考えていきたいと思います。

シンガポールなんか上手に国を発展させてるなぁと感じるので、一度しっかり勉強してみるべきですね。


(以下備忘録)
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【序章 なぜ歴史を振り返るのか】
80年代においては、社会主義経済の失敗が明らかになった。中国も工業化した。これは、製造業に関する条件を大きく変化させるものであった。それまで社会主義経済圏に閉じ込められていた膨大な数の労働者が、資本主義経済の枠内に参入し、その結果、製造業の生産コストが大幅に低下した。

【第1章 現代世界経済の枠組みが1970年代に作られた】
石油ショックとは、さまざまな財・サービスの相対価格が調整されていった過程である。

「価値の基準であり続けたのは、金との兌換停止によってペーパーマネーとなってしまったドルではなく、金であった」と考えれば、原油価格は格別に上昇したわけではなかったのだ。むしろ「金表示の原油価格が不変に保たれた」と言うべきであろう。

石油ショックとは、原油という特殊な財の価格が変わっただけの過程ではなかった。むしろ通貨の価値が金との関係において、またさまざまな国の通貨間で、調整された過程だったと考えることができるのである。

日本と西ドイツが石油ショックに対して適切に対応できたのは、経済システムの優劣ではなく、むしろ、日本もドイツも通貨が増価した国であったことだ。そしてイギリスやイタリアの通貨は減価した。ドルに対して増加した通貨の国では、原油価格上昇の影響は緩和されたことになる。

西ドイツでも日本でも、戦災によって戦前からの工場の多くが失われた。しかしそのために、新しい技術体系にあった新しい工場を造ることができた。技術が大きく変化した世界では、生産性向上のために、そのほうがかえって望ましかったのだ。それに対して、イギリスやアメリカは、戦前の古い技術体系(蒸気機関)から完全は抜けだせなかった。

高度経済成長の基本は、農業経済から工業経済への移行なのである。

50年から70年にかけての人口成長率は、イギリスでは13%だったが、西ドイツでは28%に及んだ。人口成長率が高ければ、それだけで経済全体の成長率は高くなるが、若年者が多いために労働生産性も高まる。また高齢化に伴う社会保障負担が低くなる効果もある。

日本や西ドイツでは間接金融中心で巨大銀行が存在し、工業化のための資本供給で重要な役割を果たした。

企業の重要決定に労働者が参加する共同決定法の背景にあるのは、階級意識が希薄であるドイツ社会の構造だ。

全体主義的・集計的体制は、新しい情報技術の下では効率が下がるだけでなく、生き延びることすらできない。社会主義国家の崩壊は情報技術の転換とほぼ同時期に起こっているのだが、これは偶然ではなく、必然だった。
(メインフレームコンピュータから分散的情報処理システムへ)

【第2章 経済思想と経済体制が1980年代に大転換した】
70年代のアメリカは、経済面でも政治面でも、最悪の時期を経験していた。

社会主義が保守的になってしまったのは、イギリスだけの特殊事情ではなく、むしろ共産圏において顕著な傾向だった。ソ連だけでなく東欧諸国においても、超高齢者が権力の座に座り続けていた。そして、「体制を変革するには気が遠くなるような努力が必要なので、そのままにしておいた」のである。

サッチャーが目的としてのは、既得権に守られた国内産業を支援することではなく、むしろそれらを排除し、競争力のある効率的な産業を育てることだった。重要なのは企業の国籍ではなく、企業のビジネスモデルであり、その遂行能力であるとされたのだ。

TINA(There is no alternative to market)は、「市場が完全無欠だ」とか、「市場はすべての問題を解決する万全の手段だ」などと主張しているのではない。市場システムに原理的な問題があることは、十分に認識されている。「市場を代替する資源配分のメカニズムは、存在しない。少なくとも、社会主義経済や国営企業は、市場の欠陥を是正する手段にはなりえない。だから、やむをえず市場システムに依存するしかない」というのがTINAの主張である。

イギリスでもアメリカでも、国力が落ちるところまで落ちれば、強力な政治家が現われて国と経済を改革する。ソ連でも同じことが起こった。これは、経済の自動調整機能にも似たメカニズムである。

広大な国土に広がる経済活動のすべてを把握することなど、誰にもできない。だから、いかに深刻な病に陥ってもコントロールできない。「社会主義経済は経済運営に必要な情報を伝達できない」ということこそ、ハイエクによる計画経済批判の中心的論点だが、まさにそのとおりのことがソ連で起きていたのだ。

共産主義国家は検閲と情報遮断が統治の基本

ドイツ再統一は、ドイツ没落の始まりだ。その理由は、東西間の経済的格差が大きすぎたことだ。

それまでの開発途上国は、経済成長のため、輸入に頼っていた財を国内で生産することを目的とした。しかし、輸入品に比べてコストが高くなり、結局は経済発展が阻害されることとなった。こうした失敗した国の典型がインドだ。中国が行ったことは、これと反対だ。国内需要とはあまり関係のない分野で輸出産業を興し、それをテコにして経済発展を行おうとした。

【第3章 ITと金融が1990年代に世界を変えた】
80年代の日本の生産性は本当に高かったのだろうか?日本企業の利益率(営業利益/総資本)は、高度成長期の8%から、80年代には5%程度にまで落ち込んでいたのである。こうなった基本的な原因は、欧米諸国との賃金格差が解消され、さらにアジア新興工業国との競争が始まったことだ。

ユーロとは、ドイツに鎖をつけ、強いマルクを引きずりおろすための装置にほかならない。

証券化は、「各ローンの破綻は独立に起こる」との仮定だ。景気が悪化して住宅価格が下落するような、すべての借入者が同じような影響を受けるリスク、すなわち市場リスクに対しては証券化は機能しない。

これらの資産がどれだけの価値があるものかを評価する「価格付け」が最も重要なところだが、最も重要なところでファイナンス理論が使われず、「格付け」という不完全な手法が使われた。

保険は分散投資の一種なので、個別リスクに対しては機能するが、システマティック・リスクに対しては機能しない。それに対して、CDSはシステマティック・リスクに対しても機能する。

【第4章 1990年代はアメリカとイギリスの大繁栄時代】
アメリカの製造業の雇用者は、07年には1343万人まで減少した。雇用者総数に占める製造業雇用者の比率は、10.1%にまでなった。経済全体に占めるウエイトが、40年間に3分の1近くに低下してしまったわけである。

80年代のアメリカ経済におけるサービス産業化の過程では、生産性の低い対人サービスが増えたのではなく、新しい技術に支えられた生産性の高い高度なサービスが増えたのである。

中国の工業化という大きな経済条件の変化に対して最も重要なのは、「中国ができない高度の経済活動」に特化してゆくことである。

イギリスが復活したのは、金融による。「ビックバン」がもたらした「ウィンブルドン現象」による。つまりイギリスの金融立国は、それまでのイギリスの伝統的な金融機関が成長して実現したのではなく、プレイヤーが交代して外国からの選手が入ってきたために実現したのだ。

イギリスでもアメリカでも、大学や研究機関が継続して強かった。イギリスの製造業は没落したが、自然科学の基礎研究では、イギリスは継続して世界をリードしていた。また、経済学などの社会科学の面でも、イギリスは世界の最高水準を維持した。

「脱工業化」とは、高度なサービス産業への移行であり、それを支える高度の知的活動が必要だ。そのベースには、ITの進展や金融革新がある。イギリスやアメリカの脱工業化は、決して地に足がつかない浮ついた動きではないのである。

従来の世界経済では、先進国から開発途上国に対して直接投資を行うというのが、普通のパターンであった。80年代以降の中国の工業化の過程でも、そのような投資が進展した。しかし、イギリスで生じた現象は、それとは異質の新しい動きである。それは、先進国から先進国への直接投資だ。それによって、金融の新しい活動などの新しい経済活動が起こったのである。これを、「21世紀型のグローバリゼーション」と呼ぶことができる。

ニューヨーク市場での金融取引規制強化や、9・11テロ以降のアメリカの反イスラム風潮やテロ警戒の強化を産油国が嫌い、歴史的につながりの強いイギリスを選好するのだろう。さらに米企業改革法の結果、きびしい規制を嫌った外国企業の一部が、上場市場をロンドンに移した。

アイルランドが急成長できた要因として指摘されるのは、教育と海外からの直接投資である。

法人税引き下げは、国内企業の税負担を下げるためのものではなく、海外からの投資を受け入れるためのものだ。

いまやアイルランドは、ITの世界的ハブになっている。

アイルランドの教訓はきわめてシンプルだ。「高校と大学の授業料をゼロにせよ。法人税制を簡素化・透明化し、税率を引き下げよ。外国企業に門戸を開け。経済をオープンにせよ。英語を話せ」

「90年代の発展は、ヨーロッパの周辺国において実現した」のは、英語力と無関係ではない。小国には自国語で大学の教科書を作るほどの人口はいないから、高等教育の教科書はどうしても英語になる。それだけでなく、日常の仕事でも英語が不可欠だ。

【第5章 未曾有のバブルとその崩壊:2000年代】
日本が外需依存で経済成長したのは、02年から07年にかけての特殊事情だ。日本の貿易依存度は、もともとそれほど高くない。高度成長の最も大きな牽引力は、国内の設備投資だったのである。

賃金が上昇しないので、景気回復の実感はほとんどなかった。この間に格差が拡大したといわれたが、それは賃金が上昇せず、その半面で高所得者の所得である資産所得(株価上昇)が増大したからだ。これは外需依存経済成長がもたらした必然の結果だった。

アメリカ人は、なぜビッグ3の自動車でなく、日本車を買ったのか。言うまでもなく性能がよくディーラーのサービスがよかったからだが、それだけではない。この間に円安が進行したことが大きな理由だ。

重要なのは、この状況が危機以前の水準に戻ることは、期待薄であることだ。なぜなら、現在の事態は、バブル崩壊によってもたらされたものだからだ。バブル時代の水準が、長期的な傾向からみれば高すぎたのであり、それが元に戻っただけだ。

アメリカ一極集中が終わるといっても、中国やインドが、アメリカなしで独自に経済成長できる段階に達しているわけではない。これまで、中国は輸出先として、インドはITアウトソーシングの発注元として、それぞれアメリカに強く依存して発展してきた。その基本構造は、今後もかなりの期間継続するだろう。

ITも金融も、基本的な技術がアメリカで生まれ、アメリカで発展してビジネスになった。今後も、金融やITにおいてアメリカが世界を先導することは、ほぼ間違いない。

「高賃金であるが高い技術力を持つ」という日本の比較優位を生かす国際分業の姿は、機械などの資本財や部品などの中間財の輸出に特化することである。
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宮城谷昌光



第一子が生まれるまであと1か月を残すばかりになりました。
妻の妊娠が発覚したのが3月、それからあっという間の半年間でしたが、そろそろ名前の候補を考えなければなりません。

いくつか本を読んでみると、名前の考え方も、「音から考える」「使いたい漢字から考える」「画数から考える」「イメージから考える」などいろいろあって、はてどうやって決めたものか。
これはなかなか悩みます。なにしろ一生ものですから。

そもそも僕は自分の子にどんな人間になってもらいたいのか。まずはそこがスタート地点だと思いました。
それを考えるには、自分が最も感銘を受けた本を読み返してみよう、そこに自分の価値観を探るヒントがあるにちがいない、ということで9月は僕の座右の書である宮城谷昌光を再読。


「孟嘗君」(文庫本全5巻)
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宮城谷昌光の最高傑作。僕が彼の小説に本格的にのめりこんだのもこれを読んでから。 高校1年の時に初めて読んで、以来2-3年に一度は再読してます。何度読んでも学びが多い、まさに座右の書。 人になにかをしてやるというのは、自分なりの善意の表現であり、それで満足すべきであり、恩を返してもらおうとわずかでもおもえば、自分の善意がけがれる。 公孫鞅が風洪の金でなんとかなり、やがて他人にひとつでも善いことをすれば、風洪の金は生きたわけであり、わざわざそれをみせてもらうまでもない 「富がまぼろしであるといったのは、たとえば、外国の軍が趙に侵攻してきて、邯鄲が落ちるということがある。そのとき、わしの家も工場も破壊される。わしは以前の徒手空拳にもどる。あるいは君主が暗愚で苛政をおこない、民衆が叛乱をおこしても、邯鄲は崩壊し、わが家もつぶされよう。だが、わしはすぐに立ち直る。なぜなら、わしは財を蔵に積まず、人に積んでいるからだ。人が手をさしのべて、わが家も再興してくれるであろうし、わが家ができることで、多くの人は分配される富を手にすることができる、わかるか」(郭縦) 田文の人格について、まず『思いやりがある』とほめ、田文のなかにある仁の資質をあげ、つぎに、『口にしたことはかならず実行する』という信のたしかさを誇るように語った 「それは、ありがたい。そのうえでいうのだが、ここにあるのは水との戦いだ。はっきりいって人と戦うよりむずかしい。負ければ容赦なく殺され、その戦死は、いっさいの名誉から遠い。だれのつぐないも、悼みも期待できない世界がここにある。いわば純粋な奉仕だが、それだけにこの仕事は尊い、とわたしはおもっている。わかってくれようか」(田文) 「公孫鞅の失敗は、その仁義をおろそかにしたことにある。白圭の成功は、おそらく、いのちがけで仁義をまもってきたことにある。仁義ということばは、中華がもちえた最高の理念をあらわしている。それがわかる者が天下を制御してゆくのです」(尸佼) 「文どの、人生はたやすいな」 「そうでしょうか」 「そうよ…人を助ければ、自分が助かる。それだけのことだ。わしは文どのを助けたおかげで、こういう生きかたができた。礼をいわねばならぬ」 「文こそ、父上に、その数十倍の礼を申さねばなりません」 「いや、そうではない。助けてくれた人に礼をいうより、助けてあげた人に礼をいうものだ。文どのにいいたかったのは、それよ」 「管仲」(文庫本全2巻)
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上記「孟嘗君」の中で称賛されていた管仲について書かれたのがこれ。読むのはこれで二度目。 人は何年もかかって変わる場合もあるが、一瞬にして変わる人もいる。後者には自己を信じきる強さがあり、その強さは、自己を完全に棄て去る強さにひとしい。 批評は否定をふくんでおり、建設は破壊を前提にしている。管仲は伝統についても語ったが、それはいわゆる伝統ではなく、天意とか天命を問いなおすことから発した伝統であり、くだいていえば、人民のために何もできなくなりつつある周王が諸侯の上にいてよいのか、それがほんとうの天意か、ということである 「覇者になるということは、待つということなのです。いま斉は魯と争っていますが、争うとは両者が均しいことをいいます。相手を倍すれば、除けます。君がヒョウをお攻めになるのが、それです。が、十倍の力をもてば、戦わずに相手を服従させることができ、百倍の力をもてば相手を教化することができます。無礼を正すとは、相手を滅ぼすことではなく、教化することです。そうすれば、君は居ながらにして偉業を成し、覇者として天下に君臨することができるのです」(管仲) 「奇貨置くべし」(文庫本全5巻)
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秦の始皇帝を見出した呂不韋の物語。ずっと本棚にあった(読んだつもりだった)のに、実際読むのははじめて。現在第2巻(火雲篇)まで読破。 「孟嘗君」に負けず劣らず大作。呂不韋の少年時代、青年時代を通して物語が進んで行くので、彼が人はどう生きるべきかを試行錯誤しながら成長していく様子を追体験できる。そのぶん、人生の金言がそこかしこに。 付箋を貼る量は一番多くなりそうです。 要するに、才能をつかいつくしたあとに、ある富を手にいれて自己満足のうちに生涯をおえるか、自己のむこうにある自己をさがしあてる、いわば個人の才能ではどうにもならぬ冒険を無形の富と考え、邁進することで一生をつかいはたすか、である。 —どちらが得か。 と、考えれば、結論はあまりにもあきらかである。が、どちらが、おもしろいか、といえば、計算の外にある人生のほうがおもしろい。 —そうか。困難を求めてゆけばよい。 困難を避けると、いつまでたっても自分というものがわからない。そのあいまいさと同居している自分が、的確な判断をくだせるわけがない。困難と格闘すれば、その困難に勝とうが負けようが、心身の力をせいいっぱいふるったことで、目的や対象との距離があきらかになり、自分の能力の限界を描きだせる。知恵とはそのつぎに生ずるもので、つまり知恵のある人とは、無限の能力を誇る人のことではなく、有限の能力をみきわめた人のことではないのか。 ー積土の山を成さば風雨興り、積水の淵を成さば蛟竜生ず。 はじめのころに孫に語ってもらった教えのなかで、そのことばが呂不韋は好きである。人は日々小さな努力を積み重ねてゆくと、ついに山のような巨きさになる。そうなるといままであたりに風もなく雨もなかったのに風雨が起こるようになる。水も深くなければ蛟竜は住めない。人の学識や度量もそうであろう。ひとりの人が改革を外に求めず、内に求めることによって、おのずと外が変わる。人間を信ずる絶大さがここにはある。 ーわたしは運がよい。 と呂不韋はおもう。奴隷にされるという最悪なときに、孫のようなすぐれた先生にめぐりあえて、教えをうけることができた。人の力を過大に考えるわけではないが、努力を積み重ねてゆけば、人はおもいがけない力を発揮するようになる。自分が自分におどろくようにならねばならぬ。不運や不遇を嘆き、他人の薄情さを怨んでいるうちは、自分が自分を超えていない。努力が足りないあかしである。ほんとうの高みに登れば、展望がひらけ、風が変わる。人の世の風も変わるのである。 「理由のないことは起こらない。自分からでていったことは自分にかえってくる」 と呂不韋は孫子にさとされたことがある。 未来は起こるのではなく、起こすものであろう。自分の現在と過去からでていったものが、未来としてかえってくるのではないか。 呂不韋はそうおもいたい。

さてさて。こうして読んでみるとたしかにヒントは見つかったような気がしますが。。
あと1か月、じっくりゆっくり考えることとしましょう。
10月は、つい最近10巻が発売されたばかりの「三国志」も通読してみようと思います。
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