会社の先輩が休暇がてら日本から遊びに来てくれたので、週末はウィーン&プラハへ。
最初に訪れたのは音楽の都、ウィーン。
一日しかない貴重なウィーンでの夜は、モーツァルト・コンサートへ。
場所は、世界最高のオーケストラの1つであるウィーンフィルハーモニーの本拠地、楽友協会大ホール。
「黄金のホール」とも呼ばれるこのホールは、とにかく煌びやかで、18世紀のヨーロッパとはきっとこんなだったんだろうと思わされる。
僕がヨーロッパに来て何より感じたのは、欧州と日本は「違う」ということだ。
言語も違うし、味覚は信じられないくらいからっきし、サービス精神も持ち合わせず、決して謝ることもしないドイツ人は、明らかに日本人とは違う。
違いを理解したうえで、お互いを認め合うことはできても、心底価値観を共有しあうことは難しいだろうなと感じてしまう。
しかし、この日の演奏は、僕のそんな考えを木っ端微塵にしてくれた。
それは、この日の演奏が、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」「フィガロの結婚」「トルコ行進曲」など、"日本でもおなじみ"の曲だったからだ。
ここは日本から遥か遠い、民族も文化も宗教も異なるウィーンである。そして、モーツァルトがこれらの曲を作ったのは18世紀だ。
18世紀の音楽が21世紀の今もなお賞賛され、しかもヨーロッパの地図では「極東」に位置する日本でも賞賛されている。
ここにはたしかに1つの普遍性がある。これが音楽の力というものなのか。
きっとドイツ人も、千鳥ヶ淵で満開の桜を見れば、掛け値なしに美しいと思うだろう。
散りゆく桜に無常観を感じることはなくても、「桜がきれいだね」と言えば、「きれいだ、来年も見にきたい」と言うに違いない。
もっともっと芸術を学ばなければいけないのかもしれない。
もっともっと芸術を学びたい。
そこには世界をつなぐ1つの鍵がある。
アンコールの「ラデッキー行進曲」を聴き終えた後、後ろの席のオーストリア人が「ブラボー!」と叫んでいたが、僕も本当に「ブラボー!」と感じたのだ。
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