子供が生まれました


10月27日、第一子となる男の子が生まれました。
この期に及んで、父親になったという実感も責任もほとんどないわけで、正直親としてどうなのかと自分を疑いたくなります。
それでも、彼が妻と一緒に家に帰ってきて、毎日一緒に過ごすようになってから、すごく素直にその状態を受け入れらるし、親としてできる限りのことはしたいな、と静かに思ったりしています。

自分の子をどう育てるかなど、ちゃんと考えたこともないし、育てながら自分も学ぶというのが実際なのだと思います。
昔、仕事でチームを率いるようになった頃から、当然といえば当然ですが、どうやって部下を成長させるか、言葉を変えれば、リーダーとしてどうあるべきかを悩みました。
いろいろな本を読みましたし、研修にも参加しましたし、それこそいろいろな考え方があると思いますが、僕は福島正伸先生の講演で聴いた話が一番しっくりときたので、今でもそれを座右としています。
文章は正確ではないし、福島先生に語ってもらうと圧倒的に名言なのですが、以下にそれを記しておきます。


"ある日、僕はとある小学校に講演に呼ばれて、『将来の夢』について話をしました。
どんな夢を持っているかを聞いたところ、「駅前でティッシュ配りがしたい」とか、「スーパーでレジをうちたい」とか、「猫になりたい」とかという答えが帰ってきました。
僕は、すごく驚いたと同時に、こういう夢しか持てなくなっている現代の小学生を残念に感じました。
僕がその思いを担任の先生に話すと、先生からは次のような言葉が帰ってきました。
「先生、彼ら彼女らがそういう夢を持っているのは、決して未来を悲観してるからではありません。満面の笑顔でティッシュを配る人、元気いっぱいに『ありがとうございました』というレジのお姉さん、幸せそうな顔で寝ている猫を見て、自分も笑顔で仕事をしたい、という思いからそう言っているのだと思います」
僕は頭をがつーんとやられた思いがしました。
ティッシュ配りやレジ打ちを夢にできないのは子どもたちではなく、自分自身だと痛感したからです。
全ての仕事は夢の仕事にできるのに、自分がそのことを忘れてしまっていたからです。


子どもというのは、大人をすごいと思っています。
そんな大人が感動したり、心から楽しそうにしている姿は、子どもの究極の目標、夢になり、子どもはどんな苦しみでも受け入れられるようになります。
プロ野球選手やサッカー選手が子どもの夢の上位にくるのは、大人が本気で感動して抱き合っている姿を見ているからなんです。


だから、リーダーとして、部下を教育しようとか、成長のために課題を与えようとか、そんなことは思わないでください。
そんなことより、あなたが全力で課題に取り組んで、困難を乗り越え、仕事を楽しんでいる姿を見せてあげてください。
そういう上司を見ると、部下は必ず自分もそうなりたいと思います。自分で困難を乗り越えようとがんばります。
土日が待ち遠しいリーダーからは、土日が待ち遠しいと思う部下しか生まれません。
あなたが楽しく働いている姿が、部下を成長させる一番のエネルギーになります"

僕は、人生が始まったばかりの彼に、世界の楽しさを精一杯伝えたい。
そして、そのためにも、これまで以上に、あらゆることに挑戦し、自分の人生を精一杯楽しみたいと思っています。

"Have the courage to follow your heart and intuition" - Steve Jobs
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「奇貨居くべし」に学ぶ5つの人生訓(2)


人生訓その2は、「2. 日々の積み重ねが未来を形成する」です。


ーわたしは運がよい。
と呂不韋はおもう。奴隷にされるという最悪なときに、孫のようなすぐれた先生にめぐりあえて、教えをうけることができた。人の力を過大に考えるわけではないが、努力を積み重ねてゆけば、人はおもいがけない力を発揮するようになる。自分が自分におどろくようにならねばならぬ。不運や不遇を嘆き、他人の薄情さを怨んでいるうちは、自分が自分を超えていない。努力が足りないあかしである。ほんとうの高みに登れば、展望がひらけ、風が変わる。人の世の風も変わるのである。

「理由のないことは起こらない。自分からでていったことは自分にかえってくる」
と呂不韋は孫子にさとされたことがある。
未来は起こるのではなく、起こすものであろう。自分の現在と過去からでていったものが、未来としてかえってくるのではないか。
呂不韋はそうおもいたい。

一日に千里を走破する馬に乗ってしまった者は、一日に五十里しか走らない馬にいらだつであろう。しかし呂不韋は千里の馬に乗ろうとはおもわない。五十里の馬が二百日歩きつづければ、一万里のかなたに到着する。歩きつづけることのほうが大切なのである。呂不韋はそう信じている。



呂不韋はある時期、秦の捕虜となり、奴隷として穰邑に連れていかれるのですが、そこで孫子(荀子)と出会います。
奴隷にまで堕ちた自分に絶望していた呂不韋でしたが、荀子に出会い、荀子から学ぶことで努力し続けることの尊さを知り、以降の彼はとにかく未来に向けて歩みを止めずに進み続けます。
小さな努力の積み重ねで彼は最終的に秦の丞相まで昇りつめ、さらに理想の世界の実現にむけてそこから努力し続けます。

仕事にしても私生活にしても、とかく我々は一足飛びに結果を求めがちで、なかなか結果が出ないことは途中で諦めてしまいがちですが、ゴールを見失わずに少しでも近づいていこうとすることがどれほど重要か。
誰しもそうやって掴んだ成功体験を持っているのに、新しい困難や挑戦にあたるとそのことを忘れてしまいがちです。
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MR PORTER


イギリスに拠点をおくメンズファッションのオンラインショップ、MR PORTERで、DUVETICAのダウンジャケットを買いました。
Dionisio Padded Full Zip Jacket

このショップ、初めて買ったのですが、届いてみてそのサービスの質の高さに驚きました。
久しぶりに気分がよかったので、ここに書き留めておきます。

まずは注文してから届くまでの速さ。
注文した翌日に"Your order dispatched"(出荷しました)のメール、それから2日後にはマンションに不在票が投函されていて、今日再配達してもらいました。注文してから届くまでわずか4日。イギリスから発送しているのに、下手な国内サイトより速いです。

次に、信じられないほど丁寧な梱包。
ダウンジャケットを、MR PORTERオリジナルのガーメントに包み、それを包装紙でくるみ、さらにオリジナルのGift Box(写真奥)に梱包し、それが段ボールに入れられて送られてきました。こんな時代になんという過剰包装!

次に、国際配送へのきっちりした対応。
段ボールの中には納品書などいくつかのペーパーが入っていましたが、そのうちの1枚に関税と消費税に関するお知らせがあって、「商品の送料には関税と消費税が含まれているので、お客様はどのような税金請求にも応じる必要はありません。もし支払いの請求をされた場合はxxxまで連絡ください」とのこと。税処理をしっかりやってくれるのは、日本ではそこまでではないでしょうけど、国によってはすごくありがたいでしょうね。

最後に、不具合時の返品対応。
オンラインショップだからこそなのかもしれませんが、返品の場合の手続の方法と郵送時の必要書類、返送先が書かれたDHLの送り状まで、すべてセットで梱包されていました。
海外からの個人輸入は返品が面倒だったり、もはや不可能なくらいわかりにくかったりということがありますが、逆にここまで丁寧に用意してくれていたのは初めてです。

そんなこんなで、久しぶりに海外のショップにホスピタリティで驚かされました。
イギリスは、昔出張した時もホテルなんかで非常に気持ちいいサービスを受けた思い出があり、この国の英国紳士ぶりにはかなり好感を持ってます。

このダウンジャケット、抜群にかっこいいです。サイズもばっちり。
加えて、DUVETICAは、日本のセレクトショップで買うと6万円前後しますし、今回買ったモデルは日本未発売なんですが、輸入代行サイトなんかでは同じように6万円程度で売ってました。
でも、自分でサイトから購入すると3万円ちょっとで、これだけ丁寧にデリバリーしてくれるのですから、大満足。

いい買い物ができました。
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「奇貨居くべし」に学ぶ5つの人生訓(1)



奇貨居くべし 天命篇 (中公文庫)奇貨居くべし 天命篇 (中公文庫)
宮城谷 昌光

中央公論新社 2002-04
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少し前にも書きましたが、宮城谷昌光の「奇貨居くべし」がようやく読み終わりました。

実に人生訓に富んだ傑作で、「本からの学び」という意味では「孟嘗君」以上ではないでしょうか。
孟嘗君は貴賓に生まれ、生まれながらの大才、という印象ですが、呂不韋は商人の子として生まれ、家族の愛から遠かったり、奴隷になったり、命を落としかけたり、苦難の連続の中で成長していくので、大業を成し遂げる人と平凡に生きて終わる人との違いが浮き彫りになっていたように感じました。
まさに座右の書。何度も読み返すべき本だと思います。

呂不韋の生きかたの中で、僕が特に肝に銘じておくべきだと感じた5つの人生訓を書き残しておきたいと思います。
相当長くなりそうなので、1つずつ。


1: 人を活かすことが自分を活かす

孟嘗君をみて、呂不韋ははじめて人に接することのおもしろみをおぼえた。ことごとしさをまったくあらわさずに、人を惹きこんでゆく心のありかたを我儂のものにすれば、人生はずいぶん豊かなものになるであろう。張苙が悍馬であるとすれば、それを馴らしてみたい。おのれの性質に適わぬ者をしりぞけ、あるいは避けつづけていては、いつまでたっても人としての度量はひろがらない。


「失礼ですが、蔡氏は、他人に与えずして自己を富まそうとしているようにみうけられます。無知といわれる農人でも、種を播き、水をあたえねば、穀物を得られぬことを知っております。虚空に種をとどめ、水をやることを吝しんでいては、どうして天地のめぐみを得ることができましょうや」(呂不韋)

藺相如と黄歇は国家のためにおのれを殺してもかまわぬ、いわゆる忠義の姿勢を保持している。しかし孟嘗君と魏冄は、おのれを活かすことが人を活かし、国家をも活かす、という心の構えかたをつらぬいている。死ぬということに、誉れも、美しさも、みない。
「活人」
とはそういうことではないか。人と歓びあうことが精神の基礎である。

儒家の教えは、命令と禁止のくりかえしである。ああせよ、こうしてはならぬ、ということばを発する力の源には大衆の知力を低くみる支配者の伝統が生きている。だが、道家は命令も禁止もしない。道を示すだけである。その道を歩こうとすれば、とたんに変幻する道である。呂不韋は孫子から多くのことを学んだが、貴門のうちで家臣を頤使するわけではない呂不韋は、巷にあって道家の教えにそった生きかたをえらんだ。人を救うことによって人に救われ、人を富ますことによっておのれも富んだ。こまかくみれば、物をあたえて、人を得たのである。人ははじめから広い世界をもっているわけではない。呂不韋もおそらくそうで、しかし呂不韋は人を得ることによって、世界を広げてきたのではないか。

まず1つめは、なんといっても「人を活かす」です。これは、「奇貨居くべし」だけでなく「孟嘗君」でも「管仲」でも共通していて、宮城谷小説が理想とする人の生きかたの核となる部分のように感じます。
「人のために生きれば自分も生きたことになり、加えて富も舞い込む」というのは、そもそものビジネスの意義が世の中をよりよくすることにあることを思い返すと当たり前のことなのですが、当たり前だけに忘れてしまいがちで、つい自分中心に考えてしまいがちなんですよね。。
ビジネスの世界では、日々様々な課題に対して「何が正しい意思決定なのか」「失敗のリスクをどうコントロールするか」に知恵をしぼるわけですが、僕はある時から、ビジネス上の意思決定に正解はなく、であるがゆえに、「自分が世界とどう向き合いたいか」「世界をどう変えたいか」を常日頃から考えることが重要で、意思決定とはその価値観を世に問うことであり、それが社会人の醍醐味だ、と思ってます。

「奇貨居くべし」では、その重要さを再認識させられた思いでした。
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Ninpu Talk with LiLy


今日は一風変わった本ですが…妻からの課題図書を読みました。

Ninpu Talk with LiLyNinpu Talk with LiLy
LiLy

講談社 2011-07-01
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妻の出産予定日まであと10日程度にせまってますが、実のところ、僕は今になってもほとんど実感がないのです。
もちろん、妻のお腹を触れば胎動は感じるし、家は徐々に赤ちゃんグッズが増えるしで、以前よりは実感が増してはいるのですが、なんとなく遠い未来の話をしているようで。。
そんな様子を見てるせいか、妻からは「この本を読め」と。
普段僕もあれ読めこれ読めと本を薦めてるので、まあたまには薦められた本もね、ということで、TSUTAYAでコーヒー片手に読んでみました。

妊娠発覚から出産まで、章を追いながら時系列で描かれていて、前半はまあ淡々と。
で、最後の2章が、2人の女性がそれぞれ出産する場面なんですが、文章力のある作家さんが書いてるからなのか、情景が本当にリアルで、しかもかなり壮絶で、TSUTAYAで涙が出そうになり。。。これには僕自身驚きました。

妻が妊娠してなかったら間違いなく涙は出ないでしょうね。
自分で思ってる以上に、身近なこととして捉えてるんだな、と感じて、変な話ですが、少し自分に安心しました。
おかげで出産のイメージも少し具体的になりましたし、それは決して楽しいだけじゃなくかなり大変だってことに真剣に気づいたわけですが、妻が怖いと言ってる気持ちも少しわかるようになり、読んでよかったと思います。

まあ、これを読む限り、僕は当日何の役にも立たないでしょうけどね。。
何の役にも立たないけど、せめて怒られないようにはがんばるので、どうかよろしくね。

なんだかんだと言っても、やっぱり僕は楽しみでしょうがないです。
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経済危機のルーツ



経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか
野口 悠紀雄

東洋経済新報社 2010-04-09
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日本経済のこれからを考える上でよいインプットをくれた本。非常に有意義な読書。

日本が製造業依存から脱却しなければならないと言われだして久しい気もするし、ものづくりこそ日本の強みという論調が今でも根強いような気もしますが、僕個人としてはやはり製造業依存から脱却しなければならないように思います。
(厳密に言うと、アッセンブリーまでを自分でやるというモデルとしての製造業のはもうやめたほうがいいし、自社ブランドにこだわる必要もない、ということ)
アッセンブリーは労働集約的で、人件費の高さがネックになるし、この本に書いてあるとおり歴史的にも製造業は一人当たりGDPが相対的に低い国が、通貨価値が相対的に安いことと相まって世界を牛耳っているのだから、そういう意味でも日本の役目は終わったのでしょう。

製造業という意味では、以前に書いたように、「Appleのiphoneの利益の約35%は日本企業が取っていて、それは他のどの国よりも多く、iphoneが売れて一番もうかるのは日本」みたいな中間財でもうけるビジネスモデルが理想だと思ってます。
「細部にまでこだわる」といわれる日本人気質は、完成品でやっちゃうと「過剰スペック・高コスト」という負の側面に陥りがちだけど、部品とか素材レベルでは「高い技術力に裏打ちされたキーデバイス」といったようなプラスの側面が作用する可能性が高いように思うので。

一方で僕は、ドイツ駐在時の日常生活での体験や、欧米人の同僚との会話から、日本の最大の強み(欧米人が真似できない、かつ尊敬していること)は"politeness"や"hospitality"だと実感し、であるがゆえにサービス業の海外輸出を今後のキャリアディベロップメントの柱に据えようとまで考えているのだけど、ここでいうサービス業ってなんだ!?というのが問題。
というのも、politenessやhosipitalityと聞いてすぐに思いつく産業は観光・ホテル業だったり外食産業だったりですが、問題はこれらの産業がどちらかというと労働集約的で、労働生産性が低く、たとえ製造業からこれらのサービス業に産業構造を転換したとしても、国の生産性を上げることにつながらなさそうなのです。
politenessとかhospitalityって人の性格として蓄積されていくものなので、素直にアウトプットをすると労働集約的なサービス業、となるのはある意味当然なのですが、それではだめだというのを本書を読んで再認識させられました。
人がそのままやることではなく、そういう人たちだからこそできる産業だったり、プラットフォームだったりに転換できるといいのですが。。
医療とか、アニメやコミック含むコンテンツとか。。このへんは引き続き考えていきたいと思います。

シンガポールなんか上手に国を発展させてるなぁと感じるので、一度しっかり勉強してみるべきですね。


(以下備忘録)
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【序章 なぜ歴史を振り返るのか】
80年代においては、社会主義経済の失敗が明らかになった。中国も工業化した。これは、製造業に関する条件を大きく変化させるものであった。それまで社会主義経済圏に閉じ込められていた膨大な数の労働者が、資本主義経済の枠内に参入し、その結果、製造業の生産コストが大幅に低下した。

【第1章 現代世界経済の枠組みが1970年代に作られた】
石油ショックとは、さまざまな財・サービスの相対価格が調整されていった過程である。

「価値の基準であり続けたのは、金との兌換停止によってペーパーマネーとなってしまったドルではなく、金であった」と考えれば、原油価格は格別に上昇したわけではなかったのだ。むしろ「金表示の原油価格が不変に保たれた」と言うべきであろう。

石油ショックとは、原油という特殊な財の価格が変わっただけの過程ではなかった。むしろ通貨の価値が金との関係において、またさまざまな国の通貨間で、調整された過程だったと考えることができるのである。

日本と西ドイツが石油ショックに対して適切に対応できたのは、経済システムの優劣ではなく、むしろ、日本もドイツも通貨が増価した国であったことだ。そしてイギリスやイタリアの通貨は減価した。ドルに対して増加した通貨の国では、原油価格上昇の影響は緩和されたことになる。

西ドイツでも日本でも、戦災によって戦前からの工場の多くが失われた。しかしそのために、新しい技術体系にあった新しい工場を造ることができた。技術が大きく変化した世界では、生産性向上のために、そのほうがかえって望ましかったのだ。それに対して、イギリスやアメリカは、戦前の古い技術体系(蒸気機関)から完全は抜けだせなかった。

高度経済成長の基本は、農業経済から工業経済への移行なのである。

50年から70年にかけての人口成長率は、イギリスでは13%だったが、西ドイツでは28%に及んだ。人口成長率が高ければ、それだけで経済全体の成長率は高くなるが、若年者が多いために労働生産性も高まる。また高齢化に伴う社会保障負担が低くなる効果もある。

日本や西ドイツでは間接金融中心で巨大銀行が存在し、工業化のための資本供給で重要な役割を果たした。

企業の重要決定に労働者が参加する共同決定法の背景にあるのは、階級意識が希薄であるドイツ社会の構造だ。

全体主義的・集計的体制は、新しい情報技術の下では効率が下がるだけでなく、生き延びることすらできない。社会主義国家の崩壊は情報技術の転換とほぼ同時期に起こっているのだが、これは偶然ではなく、必然だった。
(メインフレームコンピュータから分散的情報処理システムへ)

【第2章 経済思想と経済体制が1980年代に大転換した】
70年代のアメリカは、経済面でも政治面でも、最悪の時期を経験していた。

社会主義が保守的になってしまったのは、イギリスだけの特殊事情ではなく、むしろ共産圏において顕著な傾向だった。ソ連だけでなく東欧諸国においても、超高齢者が権力の座に座り続けていた。そして、「体制を変革するには気が遠くなるような努力が必要なので、そのままにしておいた」のである。

サッチャーが目的としてのは、既得権に守られた国内産業を支援することではなく、むしろそれらを排除し、競争力のある効率的な産業を育てることだった。重要なのは企業の国籍ではなく、企業のビジネスモデルであり、その遂行能力であるとされたのだ。

TINA(There is no alternative to market)は、「市場が完全無欠だ」とか、「市場はすべての問題を解決する万全の手段だ」などと主張しているのではない。市場システムに原理的な問題があることは、十分に認識されている。「市場を代替する資源配分のメカニズムは、存在しない。少なくとも、社会主義経済や国営企業は、市場の欠陥を是正する手段にはなりえない。だから、やむをえず市場システムに依存するしかない」というのがTINAの主張である。

イギリスでもアメリカでも、国力が落ちるところまで落ちれば、強力な政治家が現われて国と経済を改革する。ソ連でも同じことが起こった。これは、経済の自動調整機能にも似たメカニズムである。

広大な国土に広がる経済活動のすべてを把握することなど、誰にもできない。だから、いかに深刻な病に陥ってもコントロールできない。「社会主義経済は経済運営に必要な情報を伝達できない」ということこそ、ハイエクによる計画経済批判の中心的論点だが、まさにそのとおりのことがソ連で起きていたのだ。

共産主義国家は検閲と情報遮断が統治の基本

ドイツ再統一は、ドイツ没落の始まりだ。その理由は、東西間の経済的格差が大きすぎたことだ。

それまでの開発途上国は、経済成長のため、輸入に頼っていた財を国内で生産することを目的とした。しかし、輸入品に比べてコストが高くなり、結局は経済発展が阻害されることとなった。こうした失敗した国の典型がインドだ。中国が行ったことは、これと反対だ。国内需要とはあまり関係のない分野で輸出産業を興し、それをテコにして経済発展を行おうとした。

【第3章 ITと金融が1990年代に世界を変えた】
80年代の日本の生産性は本当に高かったのだろうか?日本企業の利益率(営業利益/総資本)は、高度成長期の8%から、80年代には5%程度にまで落ち込んでいたのである。こうなった基本的な原因は、欧米諸国との賃金格差が解消され、さらにアジア新興工業国との競争が始まったことだ。

ユーロとは、ドイツに鎖をつけ、強いマルクを引きずりおろすための装置にほかならない。

証券化は、「各ローンの破綻は独立に起こる」との仮定だ。景気が悪化して住宅価格が下落するような、すべての借入者が同じような影響を受けるリスク、すなわち市場リスクに対しては証券化は機能しない。

これらの資産がどれだけの価値があるものかを評価する「価格付け」が最も重要なところだが、最も重要なところでファイナンス理論が使われず、「格付け」という不完全な手法が使われた。

保険は分散投資の一種なので、個別リスクに対しては機能するが、システマティック・リスクに対しては機能しない。それに対して、CDSはシステマティック・リスクに対しても機能する。

【第4章 1990年代はアメリカとイギリスの大繁栄時代】
アメリカの製造業の雇用者は、07年には1343万人まで減少した。雇用者総数に占める製造業雇用者の比率は、10.1%にまでなった。経済全体に占めるウエイトが、40年間に3分の1近くに低下してしまったわけである。

80年代のアメリカ経済におけるサービス産業化の過程では、生産性の低い対人サービスが増えたのではなく、新しい技術に支えられた生産性の高い高度なサービスが増えたのである。

中国の工業化という大きな経済条件の変化に対して最も重要なのは、「中国ができない高度の経済活動」に特化してゆくことである。

イギリスが復活したのは、金融による。「ビックバン」がもたらした「ウィンブルドン現象」による。つまりイギリスの金融立国は、それまでのイギリスの伝統的な金融機関が成長して実現したのではなく、プレイヤーが交代して外国からの選手が入ってきたために実現したのだ。

イギリスでもアメリカでも、大学や研究機関が継続して強かった。イギリスの製造業は没落したが、自然科学の基礎研究では、イギリスは継続して世界をリードしていた。また、経済学などの社会科学の面でも、イギリスは世界の最高水準を維持した。

「脱工業化」とは、高度なサービス産業への移行であり、それを支える高度の知的活動が必要だ。そのベースには、ITの進展や金融革新がある。イギリスやアメリカの脱工業化は、決して地に足がつかない浮ついた動きではないのである。

従来の世界経済では、先進国から開発途上国に対して直接投資を行うというのが、普通のパターンであった。80年代以降の中国の工業化の過程でも、そのような投資が進展した。しかし、イギリスで生じた現象は、それとは異質の新しい動きである。それは、先進国から先進国への直接投資だ。それによって、金融の新しい活動などの新しい経済活動が起こったのである。これを、「21世紀型のグローバリゼーション」と呼ぶことができる。

ニューヨーク市場での金融取引規制強化や、9・11テロ以降のアメリカの反イスラム風潮やテロ警戒の強化を産油国が嫌い、歴史的につながりの強いイギリスを選好するのだろう。さらに米企業改革法の結果、きびしい規制を嫌った外国企業の一部が、上場市場をロンドンに移した。

アイルランドが急成長できた要因として指摘されるのは、教育と海外からの直接投資である。

法人税引き下げは、国内企業の税負担を下げるためのものではなく、海外からの投資を受け入れるためのものだ。

いまやアイルランドは、ITの世界的ハブになっている。

アイルランドの教訓はきわめてシンプルだ。「高校と大学の授業料をゼロにせよ。法人税制を簡素化・透明化し、税率を引き下げよ。外国企業に門戸を開け。経済をオープンにせよ。英語を話せ」

「90年代の発展は、ヨーロッパの周辺国において実現した」のは、英語力と無関係ではない。小国には自国語で大学の教科書を作るほどの人口はいないから、高等教育の教科書はどうしても英語になる。それだけでなく、日常の仕事でも英語が不可欠だ。

【第5章 未曾有のバブルとその崩壊:2000年代】
日本が外需依存で経済成長したのは、02年から07年にかけての特殊事情だ。日本の貿易依存度は、もともとそれほど高くない。高度成長の最も大きな牽引力は、国内の設備投資だったのである。

賃金が上昇しないので、景気回復の実感はほとんどなかった。この間に格差が拡大したといわれたが、それは賃金が上昇せず、その半面で高所得者の所得である資産所得(株価上昇)が増大したからだ。これは外需依存経済成長がもたらした必然の結果だった。

アメリカ人は、なぜビッグ3の自動車でなく、日本車を買ったのか。言うまでもなく性能がよくディーラーのサービスがよかったからだが、それだけではない。この間に円安が進行したことが大きな理由だ。

重要なのは、この状況が危機以前の水準に戻ることは、期待薄であることだ。なぜなら、現在の事態は、バブル崩壊によってもたらされたものだからだ。バブル時代の水準が、長期的な傾向からみれば高すぎたのであり、それが元に戻っただけだ。

アメリカ一極集中が終わるといっても、中国やインドが、アメリカなしで独自に経済成長できる段階に達しているわけではない。これまで、中国は輸出先として、インドはITアウトソーシングの発注元として、それぞれアメリカに強く依存して発展してきた。その基本構造は、今後もかなりの期間継続するだろう。

ITも金融も、基本的な技術がアメリカで生まれ、アメリカで発展してビジネスになった。今後も、金融やITにおいてアメリカが世界を先導することは、ほぼ間違いない。

「高賃金であるが高い技術力を持つ」という日本の比較優位を生かす国際分業の姿は、機械などの資本財や部品などの中間財の輸出に特化することである。
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Cup Noodle


楽天オープン期間中に、ナダルがカップヌードル(主にシーフード)を30個食べたという噂を聞き、宣伝効果そのままにカップヌードルが食べたくなり、夕飯に2つも食べてしまいました。。

"ナダルは今大会、試合前や試合後にカップ麺を食べる姿が目撃されているが、「カップ麺ばかり食べているわけではない」とコメント。「鉄板焼きを食べたし、魚市場にも行った。世界中のどこの国でも、日本食を食べるようにしている」と述べた(2011/10/09 ロイター)"

うまかったです。
が、これでまたしばらくはおあずけにします。
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Rakuten Japan Open Tennis Championships Final


楽天オープン決勝戦。自宅で観戦しました。

なぜ準決勝は現地に観戦しにいって、決勝は自宅にしたのかと言うと、以前ローランギャロスに全仏の女子シングルス決勝(サフィナvs.クズネツォワ)を観に行った時に、けっこう一方的な展開で、1時間強でセットカウント2-0で終わってしまい、すごくあっけなかった記憶があったんです。
で、それなら準決勝のほうが2試合観られるし、準決勝まで来ればかなりの好試合になるのは間違いないし、ということで、今回は準決勝を現地観戦、決勝は自宅観戦にしました。

しかし、今日の決勝は「現地で観たかった!」と思わずにはいられない熱戦。
ナダルの出来は昨日とは明らかに違うし、そのナダルを1セットダウンから逆転で下したマレーは覚醒したかのように強かった。
惜しいことをしましたが、2人とも来年も来たいと言っているので、来年は決勝を観に行きたいです。

マレーはダブルスも優勝して大会2冠。おめでとう!
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Rakuten Japan Open Tennis Championships


今日は有明テニスの森で開催中の楽天オープンのシングルス準決勝2試合、ダブルス準決勝2試合の計4試合を観戦に行きました。

第一試合はナダルvs.フィッシュ。
ナダルは決して本調子じゃないように見えましたが、第一セットを取った後の第二セットは徐々にノッてきたようで、ナダルらしいショットがいくつかありました。

それよりおもしろかったのは第二試合のマレーvs.フェレール。
ストローカー同士の激しい打ち合い、マレーの200km/hを超すサーブ、非常に見応えがありました。
激しい打ち合いでしたが、少しずつマレーのほうが上回っていて、終わってみればマレーの圧勝でした。
個人的に2008年に初めてプレーを観て以来、マレーを応援し続けているんですが、今日は生でそのすごさを感じることができてよかったです。

その後のダブルスでもマレーがお兄さんとともに登場。
こちらもフルセットの末勝ち上がって、マレーは明日シングルスとダブルスの二冠を狙っての戦いになります。
がんばってほしいなぁ。特にシングルス。

楽しい一日でした。
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鹿児島


写真は全く関係ないですが、日曜から火曜まで鹿児島に出張しました。
鹿児島を訪れたのは小学生の頃の家族旅行以来でしょうから、20年ぶりくらいでしょうか。
九州新幹線が全線開通したからか、鹿児島中央駅は新しい駅ビルが建っていて、思った以上に都会的でした。

鹿児島といえば、僕のお気に入り番組であるBSジャパンの「写真家たちの日本紀行」で、師岡清高さんが撮影していて、その回は僕の今年一番のお気に入りでした。
彼のような写真が撮れるようになりたいと思ってたこともあり、今回せっかく鹿児島を訪れるので、写真を撮ろうと思っていたのですが、残念ながら仕事におわれて全く撮れませんでした。
次回の出張に期待です。妻の出産が遅れるとかぶりそうなので、どきどきしてますが。。
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宮城谷昌光



第一子が生まれるまであと1か月を残すばかりになりました。
妻の妊娠が発覚したのが3月、それからあっという間の半年間でしたが、そろそろ名前の候補を考えなければなりません。

いくつか本を読んでみると、名前の考え方も、「音から考える」「使いたい漢字から考える」「画数から考える」「イメージから考える」などいろいろあって、はてどうやって決めたものか。
これはなかなか悩みます。なにしろ一生ものですから。

そもそも僕は自分の子にどんな人間になってもらいたいのか。まずはそこがスタート地点だと思いました。
それを考えるには、自分が最も感銘を受けた本を読み返してみよう、そこに自分の価値観を探るヒントがあるにちがいない、ということで9月は僕の座右の書である宮城谷昌光を再読。


「孟嘗君」(文庫本全5巻)
孟嘗君(1) (講談社文庫)孟嘗君(1) (講談社文庫) 宮城谷 昌光 講談社 1998-09-04 売り上げランキング : 54789 Amazonで詳しく見る by G-Tools
宮城谷昌光の最高傑作。僕が彼の小説に本格的にのめりこんだのもこれを読んでから。 高校1年の時に初めて読んで、以来2-3年に一度は再読してます。何度読んでも学びが多い、まさに座右の書。 人になにかをしてやるというのは、自分なりの善意の表現であり、それで満足すべきであり、恩を返してもらおうとわずかでもおもえば、自分の善意がけがれる。 公孫鞅が風洪の金でなんとかなり、やがて他人にひとつでも善いことをすれば、風洪の金は生きたわけであり、わざわざそれをみせてもらうまでもない 「富がまぼろしであるといったのは、たとえば、外国の軍が趙に侵攻してきて、邯鄲が落ちるということがある。そのとき、わしの家も工場も破壊される。わしは以前の徒手空拳にもどる。あるいは君主が暗愚で苛政をおこない、民衆が叛乱をおこしても、邯鄲は崩壊し、わが家もつぶされよう。だが、わしはすぐに立ち直る。なぜなら、わしは財を蔵に積まず、人に積んでいるからだ。人が手をさしのべて、わが家も再興してくれるであろうし、わが家ができることで、多くの人は分配される富を手にすることができる、わかるか」(郭縦) 田文の人格について、まず『思いやりがある』とほめ、田文のなかにある仁の資質をあげ、つぎに、『口にしたことはかならず実行する』という信のたしかさを誇るように語った 「それは、ありがたい。そのうえでいうのだが、ここにあるのは水との戦いだ。はっきりいって人と戦うよりむずかしい。負ければ容赦なく殺され、その戦死は、いっさいの名誉から遠い。だれのつぐないも、悼みも期待できない世界がここにある。いわば純粋な奉仕だが、それだけにこの仕事は尊い、とわたしはおもっている。わかってくれようか」(田文) 「公孫鞅の失敗は、その仁義をおろそかにしたことにある。白圭の成功は、おそらく、いのちがけで仁義をまもってきたことにある。仁義ということばは、中華がもちえた最高の理念をあらわしている。それがわかる者が天下を制御してゆくのです」(尸佼) 「文どの、人生はたやすいな」 「そうでしょうか」 「そうよ…人を助ければ、自分が助かる。それだけのことだ。わしは文どのを助けたおかげで、こういう生きかたができた。礼をいわねばならぬ」 「文こそ、父上に、その数十倍の礼を申さねばなりません」 「いや、そうではない。助けてくれた人に礼をいうより、助けてあげた人に礼をいうものだ。文どのにいいたかったのは、それよ」 「管仲」(文庫本全2巻)
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上記「孟嘗君」の中で称賛されていた管仲について書かれたのがこれ。読むのはこれで二度目。 人は何年もかかって変わる場合もあるが、一瞬にして変わる人もいる。後者には自己を信じきる強さがあり、その強さは、自己を完全に棄て去る強さにひとしい。 批評は否定をふくんでおり、建設は破壊を前提にしている。管仲は伝統についても語ったが、それはいわゆる伝統ではなく、天意とか天命を問いなおすことから発した伝統であり、くだいていえば、人民のために何もできなくなりつつある周王が諸侯の上にいてよいのか、それがほんとうの天意か、ということである 「覇者になるということは、待つということなのです。いま斉は魯と争っていますが、争うとは両者が均しいことをいいます。相手を倍すれば、除けます。君がヒョウをお攻めになるのが、それです。が、十倍の力をもてば、戦わずに相手を服従させることができ、百倍の力をもてば相手を教化することができます。無礼を正すとは、相手を滅ぼすことではなく、教化することです。そうすれば、君は居ながらにして偉業を成し、覇者として天下に君臨することができるのです」(管仲) 「奇貨置くべし」(文庫本全5巻)
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秦の始皇帝を見出した呂不韋の物語。ずっと本棚にあった(読んだつもりだった)のに、実際読むのははじめて。現在第2巻(火雲篇)まで読破。 「孟嘗君」に負けず劣らず大作。呂不韋の少年時代、青年時代を通して物語が進んで行くので、彼が人はどう生きるべきかを試行錯誤しながら成長していく様子を追体験できる。そのぶん、人生の金言がそこかしこに。 付箋を貼る量は一番多くなりそうです。 要するに、才能をつかいつくしたあとに、ある富を手にいれて自己満足のうちに生涯をおえるか、自己のむこうにある自己をさがしあてる、いわば個人の才能ではどうにもならぬ冒険を無形の富と考え、邁進することで一生をつかいはたすか、である。 —どちらが得か。 と、考えれば、結論はあまりにもあきらかである。が、どちらが、おもしろいか、といえば、計算の外にある人生のほうがおもしろい。 —そうか。困難を求めてゆけばよい。 困難を避けると、いつまでたっても自分というものがわからない。そのあいまいさと同居している自分が、的確な判断をくだせるわけがない。困難と格闘すれば、その困難に勝とうが負けようが、心身の力をせいいっぱいふるったことで、目的や対象との距離があきらかになり、自分の能力の限界を描きだせる。知恵とはそのつぎに生ずるもので、つまり知恵のある人とは、無限の能力を誇る人のことではなく、有限の能力をみきわめた人のことではないのか。 ー積土の山を成さば風雨興り、積水の淵を成さば蛟竜生ず。 はじめのころに孫に語ってもらった教えのなかで、そのことばが呂不韋は好きである。人は日々小さな努力を積み重ねてゆくと、ついに山のような巨きさになる。そうなるといままであたりに風もなく雨もなかったのに風雨が起こるようになる。水も深くなければ蛟竜は住めない。人の学識や度量もそうであろう。ひとりの人が改革を外に求めず、内に求めることによって、おのずと外が変わる。人間を信ずる絶大さがここにはある。 ーわたしは運がよい。 と呂不韋はおもう。奴隷にされるという最悪なときに、孫のようなすぐれた先生にめぐりあえて、教えをうけることができた。人の力を過大に考えるわけではないが、努力を積み重ねてゆけば、人はおもいがけない力を発揮するようになる。自分が自分におどろくようにならねばならぬ。不運や不遇を嘆き、他人の薄情さを怨んでいるうちは、自分が自分を超えていない。努力が足りないあかしである。ほんとうの高みに登れば、展望がひらけ、風が変わる。人の世の風も変わるのである。 「理由のないことは起こらない。自分からでていったことは自分にかえってくる」 と呂不韋は孫子にさとされたことがある。 未来は起こるのではなく、起こすものであろう。自分の現在と過去からでていったものが、未来としてかえってくるのではないか。 呂不韋はそうおもいたい。

さてさて。こうして読んでみるとたしかにヒントは見つかったような気がしますが。。
あと1か月、じっくりゆっくり考えることとしましょう。
10月は、つい最近10巻が発売されたばかりの「三国志」も通読してみようと思います。
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陽はまた昇る


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佐藤正明

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ビジネスの話で、「デファクトスタンダード」がテーマにあがると必ずと言っていいほど例に挙がるVHSとベータの開発物語。
すごくいいですね、この映画。
どこまでが事実に基づいているのかわかりませんが、VHSが相当土壇場まで追い込まれていたとは知りませんでした。

この映画のハイライトは、何といっても西田敏行演じる事業部長の事業への情熱が、チームを一丸にし、本社経営陣を覚悟させ、さらには競合メーカーまで説得する、というストーリーなんだと思います。
僕も大きな組織に属すようになってわかりましたが、ものすごいエネルギーが必要ですよね、これ。
自分のやりたい方向性が組織の「空気」と反対を向いている時って、ほとんどの人に話が通じないし、説得できないし、動いてもらえない。
この映画の前半での渡辺謙がそういう役なんだと思いますが、大企業で働く人ってすごくリスクに過敏だと感じます。変に目立って失敗するよりは、おとなしくしてたほうがいいって人がすごく多いように思います。
当時もそうだろうし、選択肢の増えた今の時代に大企業を選ぶ人はなおさらそうなのかも。
そういう人たちを、ビジョンと、情熱でひっぱって、少しずつ巻き込んでいくというのは、途方もないことで、僕はだいたい話の通じない人にあうと興味を失います。こんなやつらとやってられるか、と。
組織で働く以上は、それじゃだめだなと最近痛感。けっきょくビジネスって人ですからね。
ただしそれは、人情味を持たなきゃということではなく、情熱を持たなきゃということのような気がする。ようは情熱を持てる仕事のしかたをしないといけない。

一方で、経営陣側に立ってこの映画を見ると、これって複雑な映画ですよね。
本社の役員(?)が、「このVHSが成功しても、君の仕事の進め方は間違っている」と西田敏行演じる事業部長に話す場面にそれが集約されていると思いますが。。
先行きのわからない事業への投資をどこまで継続するのか、逆に言えば、撤退基準をどう設定するか、というのは、経営する側からすれば非常に重いイシューだと思います。
開発は当然自分たちの技術を我が子のようにかわいがり、思い入れを持っているのでまずやめようとしないし、事業の撤退となると、それまでその事業に携わってきた人の努力をある意味無に帰すわけですから、その反発は相当なものです。
かつて事業のリストラプロジェクトをやった時も、撤退を提案された役員が怒りにまかせて罵声をあびせる中で撤退を決断できる経営者もいれば、あと一年、あと半年、とずるずるひっぱってしまう経営者もいる。
不採算事業の延命は、企業全体の業績に致命的になるケースが大半で、今回のように逆転ホームランを打てるのは本当にまれ。
今回のケースは、消費者ニーズをしっかり理解していて、だからこそ開発のエゴではないのだ、という見方はできるかもしれませんが、それも結果論かなとも思います。
僕は冒頭で「VHSがここまで追い込まれていたとは知らなかった」と書きましたが、裏返せば、ここまで追い込まれる前に撤退の意思決定をするだろう、と思ってたからなのかもしれません。

あと1つ思ったのは、父親がいい仕事をすると家族の絆は深まりますね。
子どもたちが父親の背中を尊敬のまなざしで見ていたラストは印象的でした。
背中で語れる父親を目指さねば。

本当にいい映画でした。
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写真展めぐり


連休中は6つの写真展と国際的な写真の見本市であるTokyo Photo 2011に行きました。


野口里佳「光は未来へ届く」(IZU PHOTO MUSEUM)

「小さな宇宙と大きな宇宙、微視と巨視を行き来する独自の視点で、野口里佳は不思議さに溢れたこの世界を写しとります」

なるほど彼女の写真は被写体との距離感が独特。
被写体に親しみを持っているわけでもなく、かといって距離をおいているような冷たさはなく、遠くから被写体が身を置く世界を温かく包むような写真。
光をすごく大切にしているんだと思いますが、光に全てを語らせるわけではない。
こういう写真を撮るのは難しいなぁ。。自分と世界との向き合い方だと思うんですよね、この撮りかたって。
「写真から表現意図が読み取れる写真」と「そうでない(読み取りづらい)写真」とに分類するとすると、野口里佳は後者だと思う。


ロバート・フランク「Flower Is」(Gallery Bauhaus)

「The Americans」が超有名なロバート・フランク。実際の写真展で見たのははじめて。
以前に、書店で「London/Wales」という写真集を見たことがありますが、その中に作品を選ぶ前のベタ焼きの写真があって、それがすごくおもしろかったです。
プロの写真家がどういう撮り方をして、そこからどうやって作品を選んでいるのか、少し垣間見ることができますから。
今回の写真展でも、ベタ焼きの写真が、自動車工場のとパリのとそれぞれあって、それがよかったです。


川鍋祥子「空に…」(アップフィールドギャラリー)

すごく感じのいいギャラリー、すごく感じのいい写真家さんでした。
写真も女性らしい視点だな、と。野口里佳はコンセプチュアルですが、川鍋祥子さんの写真は主題がはっきりしてたように思います。
テーマが祭りだったから、というのもあるのでしょうが。
最近たくさん写真みるので、男性的な写真とか女性的な写真とかってのは、やっぱりあるなぁと思います。


橋口譲二「Hof ベルリンの記憶」(銀座ニコンサロン)

ベルリンはベルリンでも、旧東ベルリンの写真。
ドイツに住んでいた頃、ドイツ人たちが「彼は旧東の人間だから…」と話すのを聞いたことが何度かあり、統一から20年近くたってもまだ名残があるものかと驚きましたが、実際に東ベルリンやドレスデンなどの旧東ドイツの街は今でも当時の面影がはっきりと残っています。
画一的な集合住宅、シンプルで無機質なデザイン、大戦での爆撃と今もなお修復されない爪跡…そういった東ドイツのキャラクターが写し撮られた写真展でした。
海外国内問わず、いろいろな街をこれからも訪れて写真を撮りたいと思ってますが、単にきれいな写真を撮るのではなく、その街のキャラクターを想起させる写真が撮りたいな、と再認識。


宇野亜喜良 沢渡朔 立木義浩 寺山修司 森山大道「SCANDAL2」(BLD GALLERY)

時間がなくてほとんど見れませんでした。残念。。


長島有里枝「What I was supposed to see and what I saw」(1223現代絵画)

有名な方なので楽しみだったんですが。。ちょっとよくわかりませんでした。
花ってモチーフとして解釈が難しい気がしますね。
もう少し写真の数があれば違ったのかもしれませんが…あれで500円か…うーーーん。。


Tokyo Photo 2011(東京ミッドタウン)

写真の見本市ということで、日本の著名なギャラリーがブースを構え、海外のバイヤーが買い付けをするシーンがちらほら。
写真ってしっかりアートとして取引されているんだと実感。まだまだ規模は小さいのかもしれませんが。。
河西春奈さんという写真家の作品が好きでした。
こういう規模の大きいイベントもいいですが、ちょっと見きれないですね。。一枚一枚見るのに頭使うし。。


まさにPhotography weekend。全部つきあってくれた妻よ、ありがとう。
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ご無沙汰しております


久しぶりに書こうと思うのですが。。何から書いたものかわからないですね。

今日のランチは広尾の「太桜」という中華料理を食べました。
かつてこのあたりに住んでいた、妻のお父さんに連れて行ってもらったのがきっかけのこの店。
古くからあるんだろうなーという店構えで、味もよく、広尾では考えられないお手頃な価格ということもあって、それ以降も妻と足を運んだり、一人で食べに行ったりしてます。
毎回餃子タダ券くれるんですよね。もう最初から餃子セットなんじゃないかって気がしてきますが、タダ券あると行っちゃいますよね。
同じように考える人が多いのか、店は食事時はもちろん、今日は夕方4時くらいに行ったのに全てのテーブルが埋まってました。
4人組の学生さんがいて、彼らは餃子チケット持ってない様子。

「担々麺に餃子をつけたら1050円かぁ。。うーん。。」

次回からは餃子のこと気にせず注文できるよ。これで君も常連だ!
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ブラックスワン


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「1番になれる人」と「1番になれそうで2番に終わる人」の違いを2時間かけて教えてくれる映画。
ほんのわずかに見えるその差は、決して、「運」などではない。

ナタリー・ポートマン演じる主人公のニナは、純粋で繊細な白鳥を踊らせれば誰よりも素晴らしいが、官能的な黒鳥をうまく演じることができない。
この時点の彼女は、「1番になれそうな人」。
そして、1番になるための最後の難題は、彼女の生い立ちや育った環境に深く起因する弱点を克服すること。
それもそのはず、「1番になれそうな人」まで登ってきている時点で、人一倍の努力はしているし、できることは大概やっている。
自分が生涯つきあっていく弱点とどう戦い、乗り越えるか。「1番」はその先にあるようだ。

努力、苦悩、失敗、そして周囲のサポートを受けて、彼女は最後の壁を乗り越える。
狂気をまとってブラックスワンを演じるシーンは本当に圧巻。
まばたきすらできなかった。
人はそれを「狂気」と呼ぶが、本人からすればそれは狂気でもなんでもなく、弱点を克服した結果身につけた演技力でしかないのかもしれないと思う。

自分に足りないものがよくわかる、身のつまされる映画。
今年の上半期に観た映画の中で最高傑作。おすすめです。

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Those precious motives, those strong knots of love

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3月のことなので、もうだいぶ前の話になりますが、妻の妊娠が発覚しました。
その後今日に至るまで、母子ともに順調に成長し、いま妊娠5ヶ月の半ばです。
予定日は10月下旬。

僕の体には何の変化もないので、正直まだ実感もほとんどないです。
目に見えてわかるのは、妻の身体の変化と、やたら財布から出ていく検診費用くらい。
ただ、生まれてくる彼または彼女が、これから自分がどんな人生を歩んでいくかを考えていくうえで、切っても切り離せない存在になる、ということはなんとなく実感としてあります。

同じような感覚は結婚した時にも感じました。
何もかも自分の好き勝手に生きてきたけど、これからは彼女の人生も考えながら生きていかなければならない。
転職するにしても、住む場所を変えるにしても、もう一人で決めるわけではないのだ、という感覚。

僕はこの感覚をとても気に入ってます。
実際、この感覚は、独身の頃に思っていたような「自由を失う」という感覚ではなく、「人生をともに歩いてくれる人がいる」という感覚に近くて、大げさですが僕が生きている意味の1つになっているように思います。

I am pleased to welcome you to our family and looking forward to seeing you soon!!

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Takamatsu

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出張で高松へ。
仕事の合間に栗林公園という日本庭園に連れて行ってもらいましたが、ここは圧巻でした。
栗林公園のウェブサイトによると、2009年のミシュランガイドで、「わざわざ訪れる価値のある場所」として最高評価の3つ星に選定されたそうですが、いやほんとに。

園内で盆栽の展示即売会をやっていたんですが、見事な盆栽が東京では考えられないくらい安くて、思わず買いそうになるのをぐっと我慢しましたが、東京に戻って妻に話すと「買ってくればよかったのに」とのこと。
次回出張の時期にもやってればいいんだけど。

それにしても、讃岐うどんはおいしいし、栗林公園に限らず古き良き日本的な風景が多くて写欲をそそるし、次回はゆっくり滞在したいものです。

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梅の公園

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青梅市にある梅の公園に行ってきました。

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31

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衝撃的なガンジー事件にまさかの先を越されてしまいましたが、2月15日は31歳の誕生日でした。

もともとは海外出張の予定だったのですが、出張が4月に延期になったので、妻が当日お祝いをしてくれました。
平日の夜待ち合わせをして、イタリアンで食事をして、家に帰って手づくりのケーキを頂いて…前職の頃は考えられないような時間の使い方です。
イタリアンは絶品でした。特にトリュフのグラタン。

写真は誕生日プレゼントにもらった靴とベルトです。
自分ではまず選ばないであろう上品でありながら可愛げのあるライトグレーのドット柄デザイン。
実はこの靴とベルトは全く別のブランドのもので、同じデザインのものを探してコーディネートしてくれたのです。
ありがとうね。大事に使わせてもらいます。

誕生日はたくさんの人にメールを頂きました。ありがとうございました。
人生中盤戦の30代2年目です。少しずつ自分の人生像を形にしていきたいと思います。
あとは、体を引き締めないとね。

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ガンジー

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今日、仕事から帰ってきた時の話です。

もともとは千葉でアポイントがあり、帰りは遅くなるはずだったのですが、急遽予定が変更になり、思いがけず家に帰り着きました。
妻はまだ仕事から帰ってきてませんでした。

我が家は、家に早く帰ってきたほうが、郵便ポストを確認します。今日は僕でした。
ポストの中には、「大富豪がこのあたりのマンションを欲しがってます。マンションを売ってください」みたいな胡散臭いチラシ、ピザのデリバリーのチラシ、整体やりますというチラシなどがありました。
ここまではいつも通りです。

チラシ類をゴミ箱に捨て、ポストを確認すると、1通の封筒がありました。
宛先は僕、発送元はHMVです。
HMVで物を買った覚えは全くありません。
妻が買ったのかな。。と思ったりもしましたが、宛先は僕なので、思い切って封を開けてみました。
すると、中には、、

ガンジーです。

ガンジーのDVDが1枚と、納品書です。

僕は、一瞬何が起きてるのかよくわからなくなりました。
だってガンジーですよ。

妻はガンジーを観たかったのでしょうか。
彼女と知り合って5年、結婚してもうすぐ丸3年になりますが、そんなことは一度も言ってませんでした。
何か思いつめてるのでしょうか。

いや、そもそもこれは本当に妻が買ったのか。
僕は納品書を隅から隅まで読みました。
そこには、次のような記載がありました。

「ご注文番号」2015xxxx
「ご注文日」2011/02/14
「ご注文数」1
「配送枚数」1
「出荷日」 2011/02/15
「お支払い方法」 RAKUTEN POINT
「配送会社」佐川急便
「商品名」 Movie ガンジー コレクターズエディション

びっくりしました。
そこには、宛先もなければ、送った人の名前も記載されてないのです。
誰が誰に送ったものなのか、全くわからないものなのです。
シュレッダーにかけずにこのまま納品書を捨てても、個人情報は全くわからないものなのです。

僕は考えました。
もしかして妻じゃないのかもしれない。。
何を隠そう、昨日は僕の誕生日だったのです。誰かからのプレゼントなのでしょうか。
だとしたら、、誰なのでしょう。

いや、「誰か」も大事ですが、もっと大事な問題は「なぜガンジーか」でしょう。
だって、「ガンジー」ですよ。
HMVには280万タイトルの取り扱いがあるそうです。
この280万分の1で「ガンジー」が選ばれたのです。

「モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi 1869年10月2日 - 1948年1月30日)は、インドのグジャラート出身、マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)として知られるインド独立の父、弁護士、宗教家、政治指導者。「マハートマー(Mahatma)」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされているガンディーの尊称である。
南アフリカで弁護士をする傍らで公民権運動に参加し、帰国後はインドのイギリスからの独立運動を指揮した。その形は民衆暴動の形をとるものではなく、「非暴力、不服従」(よく誤解されているが「無抵抗主義」ではない)を提唱した。この思想はインドを独立させ、イギリス帝国をイギリス連邦へと転換させただけでなく、政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。特にガンディーに倣ったと表明している指導者にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ダライ・ラマ14世等がいる。
��以上Wikipediaより抜粋)


これがガンジーです。
この歴史に名を残す崇高な男がガンジーなのです。

これは、誰かが僕にメッセージを送ろうとしてるのかもしれない。
俗に溺れ、物欲にまみれ、中性脂肪も増え続けている僕に、もっと崇高な生き方をせよというメッセージなのかもしれない。
毎日僕の怠惰ぶりを見てる、妻からのプレッシャーなのでしょうか。

それとも、昨日「何か欲しい物はある?」とメールしてきた実家の母がこっそり送ってくれたのでしょうか。
そう思えば実家の母は楽天をよく使っているので、DVDが買えるほどポイントが溜まっているのもうなずけます。
しかし。。楽観的で人生エンジョイがモットーのようなうちの母が「ガンジー」贈りますかね?

じゃあ父親?
いや、彼はガンジーを送ってきそうではありますが、そもそも楽天というものを知らない可能性があります。
僕は父親がパソコンで「Yahoo!占い」以外のページを開いているのを見たことがありません。

そのとき、ふと別の考えが頭をよぎりました。
もしかすると、誰かが僕の楽天IDを盗みだして、勝手にショッピングをしたのかもしれません。
だとしたらこれは一大事です。
僕は慌ててパソコンを立ち上げ、ウェブブラウザを立ち上げ、楽天のアドレスを打ち込みました。
こんなときに限ってパソコンはなかなか動きません。我が家のMacBookAir、もはや寿命なのでしょうか。

ようやく楽天のサイトが開き、僕は自身のIDとパスワードを入れて、脇目もふらず購入履歴を確認しました。
購入履歴の一番上(一番最新のもの)には、「2011年1月30日 松阪牛大トロフレーク」とありました。
どうやら僕のIDで買ったものではないようです。
そもそも僕は楽天ポイントが138ポイントしかありませんでした。DVD買えません。

そうなると、次に考えつくのは、誰かがいきなり商品を送りつけて、あとから代金を請求してくる「受け取ったでしょ詐欺」です。
そんな詐欺があるかどうか知りませんが、そんな詐欺はありそうです。
買ったおぼえのない商品をなんとなしに受け取るのは、とんでもない世界に足を踏み入れているのかも知れないのです。
はたしてガンジーは、悪魔の使いかもしれません。

僕は空恐ろしくなりました。
僕はもう一度納品書にすがりました。もしかしたら裏面があるのかもと思いましたが、裏面は白紙でした。
しかし、表に戻ると、そこには次のような文章がありました。

「お問い合わせ:このご注文に関するお問い合わせは右記でお願いします。」

すぐに、これだ!と思いました。HMVに確認すればいいんですよね。
そりゃそうですよ。慌てる必要ないんです。
早速書かれていたHMVのウェブサイトにアクセス。そこでお問い合わせ電話番号を見つけました。
すぐに電話してみます。

「こちらは、HMVカスタマーセンターです。只今電話が大変混み合っております。ご用の方は、メールでお問い合わせ頂くか、もうしばらくたってからおかけ直しください。」

のメッセージの後、一方的に電話が切られます。
メールで問い合せて返事を待つような、そんな時間をかける心の余裕はもはやありません。
がむしゃらにかけ続けることにします。

1分後、あっさりと電話は繋がりました。
オペレーターに身に覚えのない商品が届いたので、確認してほしいと伝えると、注文番号をお知らせくださいとのこと。
納品書の数少ない情報の1つである注文番号を伝えました。
その時、オペレーターの女性から告げられた言葉を、僕は忘れることができません。

「こちらは、千葉県◯◯市の△△様からの注文ですが、ご存知の方ではないですか?」

それは、妻の両親でした。
妻の両親からの誕生日プレゼントだったのでした。
妻の両親が僕に「ガンジー」を送ってくれたのでした。

ありがとうございます、安心しました、とオペレーターに告げ、電話を切った僕。
とりあえず何かの事件に巻き込まれたのではないことにほっとし、そしてこの体験を記録せねばと思い、楽天やらHMVやらにアクセスするために既に立ち上がっていたパソコンから数ヶ月ぶりにこのブログを開き、ここに書き留めることにしました。

さてさて一件落着!と書いて、この長い長いエントリーを終わりにしたいところですが、事はまだ済んでいません。

そうです。僕はこれから妻の両親に電話をし、プレゼントの御礼を伝えるとともに、一番の関心事である「なぜガンジーを?」ということを手を汗まみれにしながら、声が震えないように注意しつつ聞かなければなりません。
こんなゾッとする話、1人では電話できないので、妻が帰ってきて、夕飯を食べて、ロールケーキとコーヒーを楽しんでからにしようと思います。

これを機にブログを本格再開。。。するかはわかりませんが、少なくともガンジー観たら何か書こうと思います。
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