小江戸川越

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都心から1時間強、鎌倉、日光と並んで歴史的建造物で有名な川越に行ってきました。
��と言っても、川越がそんな街だとは1ヶ月くらい前までは知りませんでした...)

歴史的な街並はたしかに壮観なのですが、残念なのは絶え間なく自動車が走るせいで、落ち着いて街並を楽しむことができないこと。
明らかに景観ともマッチしておらず、市街地に歴史地区が残っているので交通の便を考えると難しい問題であるにせよ、何らかの工夫はしてほしいなと思います。
その点、菓子屋横丁のあたりはヒューマンスケールに設計されていて、見所満載でした。

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次は鎌倉に行きたいですね。

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Omotesando Hills Christmas 2010 with SWAROVSKI ELEMENTS

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気づいたら、街はすっかりクリスマスですね。
今年のクリスマスはゆっくりと過ごせそうです。

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欧州の歴史に学ぶ

何度か登場してますが、最近歴史マンガにハマってます。

ヒストリエ(1) (アフタヌーンKC)ヒストリエ(1) (アフタヌーンKC)
(2004/10/22)
岩明 均

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チェーザレ 破壊の創造者(1) (KCデラックス)チェーザレ 破壊の創造者(1) (KCデラックス)
(2006/10/23)
惣領 冬実

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「ヒストリエ」は古代オリエント、「チェーザレ」はルネサンス期と時代は違いますが、どちらも欧州が舞台。

前の会社も今の会社もそうですが、僕が勤めているのは、いわゆる「欧州系」の企業です。
今の会社では聞かれることはないですが、前の会社では、よく「欧州系と米系はどう違うのか」とクライアントやら学生さんやらに聞かれたものです。
欧州系でも米系でも働いているのは日本人が多いので、実際のところはそれほど大きな差はないように思いますが、僕が答えてたのは以下の3つです。

①多様性
アメリカは1つの国、欧州はたくさんの国の集まり。
たくさんの国の集まりである欧州は、国によって民族も違えば、言語も違うし、文化、生活習慣も違う。
今はEUで統合されていると思う人もいるかもしれませんが、実際住んでみた人にはわかるとおり、国が変わると全てが変わると言っていいほどいろいろ違います。
日本企業なんかでたまに「欧州戦略」なんて言い方を耳にしますが、国によって攻め方が違うことへの認識が甘いままに欧州を一括りに考えるとなかなかうまくいきません。
欧州企業にはドイツ人、イギリス人、フランス人、イタリア人など様々な国籍の人が一緒に働いていて、「いろんな考え方、働き方があるよね」というのを肌で理解して生きてきたのが欧州。
アメリカも人種のるつぼとか言いますが、欧州と比べれば"This is America"的な1つの価値観でお互いを理解しやすいのかもしれません。

②時間軸
アメリカは短期的、欧州は長期的。
アメリカは株式市場至上主義なので、トップマネジメントも四半期ごとに評価されるため、短期的な業績の上下に目を向けがち。
一方の欧州、実はそもそも上場企業自体が少なくて、家族経営のプライベート企業が多いんです。
そのため株式市場の影響がアメリカほどではなく、比較的長期的に物事の考えることができます。
イタリアのアパレルブランドなんかでよく見られるような、中世の頃から続いていて、今もブランドの価値を守りつつ、家族経営を続けている、というような会社が生き残れるのも欧州ならではでしょうか。
この違いがどこから来てるのかというと、結局は欧州とアメリカでは歴史の長さが違いでしょうか。長い歴史を持つぶん、欧州のほうが長い時間軸で物事を考えるのかもしれません。

③ライフサイクル
人にたとえれば、アメリカは壮年、欧州は老人。
②とも少しかぶりますが、欧州の歴史は長く、一時は世界の覇権をとり世界中に植民地を作り、そして二度の大戦を経て覇権をアメリカに奪われたという歴史があります。
旅行してみるだけでもわかるとおり、アジアはエネルギーあふれ、成長著しい、いわば若者。
アメリカは、元気がなくなったとはいえ今でも世界最大の大国、人生でいうと壮年期。
それに対して欧州は明らかに老人。
おそらく50年後も街の風景はほとんど変わらないだろうと思わされるし、人々の考え方もいい意味でも悪い意味でも「成熟」しています。
労働生産性が高く、短い労働時間で日本企業と競り合えるのも長い歴史の中での改善と優先順位付けが一段進んでいるからのような気がしますし、規制なんかを含むEUの政策を見てても、大欧州として世界にうってでるよりは、アジアや米国の企業に欧州企業が脅かされないよう「域内」経済を守る、ということに主眼が置かれているように感じます。
国家がますます成熟すると社会構造がどう変わるか、この点は日本も欧州から学ぶことが多そうです。

すっかり話がそれたのですが、欧州の歴史は多様な国家、民族による闘争の歴史であり、国家や民族の衝突と分裂、融合の繰り返しです。
その歴史は複雑であり、人はどうあるべきか、社会とはなにか、などなどへの示唆が満載。
なかでも上記2つのマンガは、文句なしにおすすめです。
歴史好きならそれだけでおもしろいでしょうし、そうでなくても、欧州の歴史が持つ壮大な人間ドラマにわくわくすることと思います。
唯一の難点は…どちらもなかなか新刊が出ないことですかね。

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写真を学ぶ

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今日は新宿御苑に紅葉を観にいきました。
ドイツに住んでた頃はよく日本を懐かしく思いましたが、その時に脳裏に写る日本の風景の1つが紅葉だったのです。
なので、期待してでかけたのですが…ちょっと早かったようです。もう11月下旬なのにね。

前の会社の社長と食事をしていた時の話。
社長と僕はどちらも大のつくカメラ好きなので、食事をするといつもあのレンズはどうだとか、どのカメラがほしいとか、そういう話になります。
先日、写真の腕がなかなか上がらないので、写真教室に通ってしっかり学んでみようかと思っている、いう話をしたときのこと。
社長は少し首をかしげた後、こう仰いました。

「うーん…そうかなあ。写真教室に行くべきなのかなぁ。。
僕はね、写真の腕を上げたかったら、万葉集を詠むほうがいいと思うよ」

こういう含蓄のあるアドバイスをくれる、大人であり、深みがあり、人間として尊敬できる方でした。


「めづらしと我が思ふ君は、秋山の初黄葉に、似てこそありけれ」
��長忌寸娘ー万葉集第八巻)
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13日間で「名文」を書けるようになる方法


13日間で「名文」を書けるようになる方法13日間で「名文」を書けるようになる方法
(2009/09/04)
高橋 源一郎

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最近ブログを更新するようになったのは、仕事が変わって時間ができたというのもありますが、むしろこの本の影響のほうが大きいかもしれません。
作家であり、明治学院大学教授であり、僕には競馬好きとしてもおなじみの高橋源一郎氏が、明治学院大学で行っている「言語表現法講義」という授業をまとめた一冊。
タイトルからは、テクニック本のような印象を受けますが、実際の中身は、古今東西の高橋氏が好きな文章を紹介しながら、文章とは何か、言葉とは何かを学生と一緒に深く考える内容。

僕は1日1講義を寝る前に読んでいたのですが。。講義を読み進めながら(講義自体もすごくおもしろい!)、著者と学生と一緒になって文章について考える時間は、気づくと毎晩の楽しみの1つになっていました。
そして、テクニックは何も身につきませんが、とにかく文章を書きたくなるのです。
まさに名講義。この授業を生で受けられる学生さんがすごくうらやましい。

個人的に特に好きだったのが、ジブリのアニメにもなった「ゲド戦記」の原作者である、アーシュラ・クローバー・ル=グィンという作家による「左利きの卒業式祝辞」。
言葉を話すということ、書くということ、伝えるということについて、じっくり考え、好きになれる、ずっと手元に残しておきたい本です。

��以下備忘録)
わたしは、「文章」というものは、「赤の他人」に読んでもらうために存在していると考えています。そんなことは当たり前でしょうか?しかし、わたしの考えでは、実際はそうなっていないのです。「文章」というものは、どこかの「赤の他人」に伝える、というよりは、「なんとなくわかりあえる仲間」に向けて書かれる場合が多いのです。

わたしたちは、わたしたちの「人生」を長い、と感じます。退屈だ、と感じます。そして、なにか面白いことは起こらないかと呟くのです。だから、「人生」そのものであるような、うんざりするほど「長い」、単調な「小説」や「文章」なんかまっぴらだと思うでしょう。

「自己紹介」とは、それを読んでくれた人が、そのことによって、そのことをきっかけとして、もっとその人間のことを知りたいと思うような、なにか、のことです。

いまFさんは、その、たったひとつの「断片」を、確かめながら、ゆっくりと、それを書いた「わたし」の「全体」について想像してくれました。いまのFさんの話し方は、まるでワインが注がれたグラスを傾けながら、目を閉じ、その印象についてゆっくりと語るソムリエのようでしたね。(中略)つまり、そこで「仕事」をしているのは、誰よりも、つまり作者よりも、読者の方なのです。

なにかを見たら、そのままにしておいてはいけません。たぶん、あなたたちは、すぐに忘れてしまうからです。なにかと比べてみてください。あるいは、結びつけてみてください。

面白いのは、時には、「効率的」なことばより、そうでないことばの方が、ずっと遠くまで届いてしまうことなのです。

「ラヴレター」は、たったひとりの「読者」を想定し、その「読者」に向かって書かれます。わたしたちは、誰に向かって書かれたのかわからない「文章」より、自分だけに向かって書かれた「文章」を、自分にとって価値があるものと考えるでしょう?そして、あらゆる「文章」は、「読者」にとって、そのように思われるよう書かれるべきなのです。

わたしたちは、相手を「知らない」から「恋に落ち」、その結果、相手を知ろうとして、やがて、その「恋」を失うのです。

あることについて、更に詳しく知ろうとして、本を読んだり、インターネットで調べたり、それから、誰かの意見を聞いたりしていると、その結果として、もとのそのものから、目を離してしまうのです。

グレーゴルは、世界の無理解と引き替えに、世界を理解することができたのです。

「右利き」の人々は、自分たちが「右利き」であることに無関心だということです。もしかしたら、「右利き」であることに気づいてさえいないかもしれません。それが「多数派」であることの意味なのです。

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「魂の昭和史」と「永遠の0」


すべての日本人に感じてほしい魂の昭和史 (小学館文庫)すべての日本人に感じてほしい魂の昭和史 (小学館文庫)
(2002/07)
福田 和也

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永遠の0 (講談社文庫)永遠の0 (講談社文庫)
(2009/07/15)
百田 尚樹

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「もともと生まれた場所も肌の色も言語すらも異なるこの世界で、自分達以外の人間、宗教を排除しようというのが間違っている。混在したこの世界こそが神が我らに与えた世界なのに。人の心などもとから型にはまるはずもないだろうに‥」
とは、先日のブログに書いた通り惣領冬実の漫画「チェーザレ 破壊の創造者」第3巻でのチェーザレの台詞ですが、僕はこの言葉にひどく共感しています。
世の中には、人の数だけ正義があって、いわゆる現在まかり通っている「正義」というのは、単にこの世界の強者にとっての「正義」でしかない、ということを、なんとなくですが理解できるようになってきました。

高校の部活とか、大学のサークルとか、会社なんかもそうですよね。勝ち残った者にとっての「正義」がその組織の価値観になる。
途中で辞めたりした人が何を思ってたかなんてほとんど気にしないし、新しく入る人にも同じ価値観を持つよう洗脳していく。
僕は高校時代テニス部でしたが、地方都市の伝統ある公立高校のテニス部というのはものすごく体育会系で、精神論全盛かつヒエラルキーに厳しく、高校1年の1年間は球拾いをするばかりでラケットを握らせてもらえませんでしたし、学校内はもちろん、町中で先輩に会っても大声で挨拶をするよう指導させられていました。
僕は単純というか、自分の軸も持っていなかったので、「高校の部活とはこういうものなのか」と思ったし、「途中で辞めるのは逃げること」というような風潮もあったりで、結果的に3年間続けましたが、今思うとこのやり方って1つの方法論ではあっても、「唯一の正義」ではないですよね。

会社なんかも、マネジメントや古株にとって居心地がいい価値観が「正義」になってて、中途で入ってきた人がうまく馴染めなかったり、異質なものを排除したり、ということはどこの組織でもあると思います。
それ以外でも、資本主義vs社会主義、キリスト教vsイスラム教、結果重視vsプロセス重視、同じような話はそれこそいくらでもあります。
結局いろんなところでいろんな正義が戦って、勝ち残った1つの正義が、その時代、その組織・集団の価値観となって、そこで勝ち残れなかった無数の正義が語られることはないし、時には悪徳、穢れとして扱われるのです。
さらに、勝ち残った正義は、その価値観でもって、歴史をも書き換えたり、解釈を変えたりする。

なので、何かについて考えるときは、僕は自分の価値観にはめこむのではなく、相手の価値観を通して考えようと試みるようになりました。
これがなかなか難しくて、あまり程度がすぎると自分の軸足がぶれたり、物事に意見をできないくらい頭がこんがらかってしまうのですが。。最近はそれを楽しんでます。

すっかり前置きが長くなってしまいましたが。
日本の「昭和史」というのは、まさに戦前の価値観が戦後の価値観で塗り替えられた時代。
ともすれば我々は、戦後の価値観で戦前、または戦時中の日本を評してしまいがちですが、それは強者の論理。
戦前、戦時中の正義と価値観とはどんなものだったのか、それを戦後の価値観を頭から捨てて理解しようとすることは、日本という国と日本人を知る上での大きなポイントになるし、そこに共感できないまでも理解が進めることが、チェーザレの言う「混沌の世界で生きる」1つの道しるべとなるのではないかと思ってます。

「すべての日本人に感じてほしい魂の昭和史」「永遠の0」は、どちらも戦前、戦時中の日本人が何を考え、どういう思いで戦争を進めていったかが、現代の文脈からは語られない角度から描かれています。
読めば読むほど自分がいかに自分の文脈で物事を見ていたか思い知らされます。

自分の生きている世界と全く違う世界に思考を広げていくことが今の僕には必要です。
昭和史も、もう何冊かは読みたいと思ってます。

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パレード


パレード (幻冬舎文庫)パレード (幻冬舎文庫)
(2004/04)
吉田 修一

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パレード (初回限定生産) [DVD]パレード (初回限定生産) [DVD]
(2010/10/06)
藤原竜也香里奈

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「パレード」を読み終えた時の率直な感想は、「怖い」というものでした。
ただ、「何が怖いの?」とか「どう怖いの?」とか聞かれると、うまく説明がつかず、僕はしばらくなぜ「パレード」が怖いのかを考え込んでいました。

はじめは、「こんな世界があったら怖いな」という意味での怖さ、つまり、物語の登場人物が持つ異質な世界観が怖いのではないかと考えましたが、どうも腑に落ちない。
というのは、僕が感じた「怖さ」というのは、ホラーやSFのような、現実にはありえない世界について話すときの「怖さ」とは明らかに異質のものなのです。
もっと日常の中で、普段は気づいていなかったり、見えなかったりするけど、実はそうだった、という類いの、物事の本質をえぐり出されたような、そんな「怖さ」だと思うのです。
では、「パレード」がえぐり出した本質とは何なのか。

それはまさに、この物語が、少し異質な空間という体裁をとっていながらも、最後に表出する「距離感」だったり「無関心」だったりという人間の本性が、実際の現実世界と「実は何ら違いがない」ということなのではないかと思います。
例えば、他愛のない会話をしたり、時には醤油の貸し借りができるような間柄の隣人がいたとして。
仮にその隣人が何か犯罪を犯していたとして、そのことを何らかの形で知ったり疑ったりしたとしても、僕は「知らないふりをしていつも通りに接する可能性はあるな」と思うのです。
それは決して、隣人に「無関心」だからではなく、「変な事件に巻き込まれたくない」「自分の平和な日常を壊したくない」という意識によるもの。
また、例えば会社で、自分の隣の席の同僚が仕事がうまくいかなくて悩んでいたとして。
軽い悩みであれば、いろいろ話をしたり、気分転換に飲みに行ったりするかもしれません。
ただ、既に心が折れていたり、精神状態に異常をきたすほど病んでいたりした場合はどうかと言われれば、僕は「声をかけずに放っておく可能性はあるな」と思うのです。
これもやはり、「無関心」だからではなく、「自分にできることないしな」というような意識によるものからではないでしょうか。

つまり「パレード」は、人間は本質的に、たとえそれが隣人であろうと同僚であろうと「見て見ぬフリをする」ことができるということ、そして"ほんの少し"舞台を特殊な状況に設定することで、それがいかに残酷であるかを、鮮明にあぶり出していて、それを見せつけられたことで僕は「怖いな」と感じたのだと思います。
ネットワークビジネスにハマった友人について「アイツとはもう関わらないほうがいいよね」と話したり、宗教にハマった友人と徐々に連絡をとらないようにしたり、この種の人間の「防衛本能」は実はそこかしこにあふれています。
「人間って実はけっこう冷たいよね」というメッセージを、「冷たくもやさしくもなれるぎりぎりの関係」を舞台にして書くことで、これ以上ない衝撃をもってつきつけられたような気がします。
そういう意味で極めて秀逸な小説。

小説を読んだ後映画を観たのですが、映画を見て、↑で書いた「冷たくもやさしくもなれるぎりぎりの関係」ってところが随所で演出されていたのだな、とあらためて感じました。
何度か手を差し伸べようとしてるもんね、実は。

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L'homme est un roseau pensant

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人間はひとくきの葦にすぎない。
自然の中で最も弱いものである。
だが、それは考える葦である。

彼を圧しつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。
蒸気や一滴の水でも、彼を殺すには十分である。
だが、たとえ宇宙が彼を圧しつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。
なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。
宇宙は何も知らない。

だから、我々の尊厳のすべては、考えることの中にある。
我々はそこから立ち上がらなければならないのであって、我々が満たすことのできない空間や時間からではない。
だから、よく考えることに努めよう。
ここに道徳の原理がある。

ー「パンセ」断章347/ブレーズ・パスカル

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今日はスカイツリーを撮りにいきました。

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