宮城谷昌光



第一子が生まれるまであと1か月を残すばかりになりました。
妻の妊娠が発覚したのが3月、それからあっという間の半年間でしたが、そろそろ名前の候補を考えなければなりません。

いくつか本を読んでみると、名前の考え方も、「音から考える」「使いたい漢字から考える」「画数から考える」「イメージから考える」などいろいろあって、はてどうやって決めたものか。
これはなかなか悩みます。なにしろ一生ものですから。

そもそも僕は自分の子にどんな人間になってもらいたいのか。まずはそこがスタート地点だと思いました。
それを考えるには、自分が最も感銘を受けた本を読み返してみよう、そこに自分の価値観を探るヒントがあるにちがいない、ということで9月は僕の座右の書である宮城谷昌光を再読。


「孟嘗君」(文庫本全5巻)
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宮城谷昌光の最高傑作。僕が彼の小説に本格的にのめりこんだのもこれを読んでから。 高校1年の時に初めて読んで、以来2-3年に一度は再読してます。何度読んでも学びが多い、まさに座右の書。 人になにかをしてやるというのは、自分なりの善意の表現であり、それで満足すべきであり、恩を返してもらおうとわずかでもおもえば、自分の善意がけがれる。 公孫鞅が風洪の金でなんとかなり、やがて他人にひとつでも善いことをすれば、風洪の金は生きたわけであり、わざわざそれをみせてもらうまでもない 「富がまぼろしであるといったのは、たとえば、外国の軍が趙に侵攻してきて、邯鄲が落ちるということがある。そのとき、わしの家も工場も破壊される。わしは以前の徒手空拳にもどる。あるいは君主が暗愚で苛政をおこない、民衆が叛乱をおこしても、邯鄲は崩壊し、わが家もつぶされよう。だが、わしはすぐに立ち直る。なぜなら、わしは財を蔵に積まず、人に積んでいるからだ。人が手をさしのべて、わが家も再興してくれるであろうし、わが家ができることで、多くの人は分配される富を手にすることができる、わかるか」(郭縦) 田文の人格について、まず『思いやりがある』とほめ、田文のなかにある仁の資質をあげ、つぎに、『口にしたことはかならず実行する』という信のたしかさを誇るように語った 「それは、ありがたい。そのうえでいうのだが、ここにあるのは水との戦いだ。はっきりいって人と戦うよりむずかしい。負ければ容赦なく殺され、その戦死は、いっさいの名誉から遠い。だれのつぐないも、悼みも期待できない世界がここにある。いわば純粋な奉仕だが、それだけにこの仕事は尊い、とわたしはおもっている。わかってくれようか」(田文) 「公孫鞅の失敗は、その仁義をおろそかにしたことにある。白圭の成功は、おそらく、いのちがけで仁義をまもってきたことにある。仁義ということばは、中華がもちえた最高の理念をあらわしている。それがわかる者が天下を制御してゆくのです」(尸佼) 「文どの、人生はたやすいな」 「そうでしょうか」 「そうよ…人を助ければ、自分が助かる。それだけのことだ。わしは文どのを助けたおかげで、こういう生きかたができた。礼をいわねばならぬ」 「文こそ、父上に、その数十倍の礼を申さねばなりません」 「いや、そうではない。助けてくれた人に礼をいうより、助けてあげた人に礼をいうものだ。文どのにいいたかったのは、それよ」 「管仲」(文庫本全2巻)
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上記「孟嘗君」の中で称賛されていた管仲について書かれたのがこれ。読むのはこれで二度目。 人は何年もかかって変わる場合もあるが、一瞬にして変わる人もいる。後者には自己を信じきる強さがあり、その強さは、自己を完全に棄て去る強さにひとしい。 批評は否定をふくんでおり、建設は破壊を前提にしている。管仲は伝統についても語ったが、それはいわゆる伝統ではなく、天意とか天命を問いなおすことから発した伝統であり、くだいていえば、人民のために何もできなくなりつつある周王が諸侯の上にいてよいのか、それがほんとうの天意か、ということである 「覇者になるということは、待つということなのです。いま斉は魯と争っていますが、争うとは両者が均しいことをいいます。相手を倍すれば、除けます。君がヒョウをお攻めになるのが、それです。が、十倍の力をもてば、戦わずに相手を服従させることができ、百倍の力をもてば相手を教化することができます。無礼を正すとは、相手を滅ぼすことではなく、教化することです。そうすれば、君は居ながらにして偉業を成し、覇者として天下に君臨することができるのです」(管仲) 「奇貨置くべし」(文庫本全5巻)
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秦の始皇帝を見出した呂不韋の物語。ずっと本棚にあった(読んだつもりだった)のに、実際読むのははじめて。現在第2巻(火雲篇)まで読破。 「孟嘗君」に負けず劣らず大作。呂不韋の少年時代、青年時代を通して物語が進んで行くので、彼が人はどう生きるべきかを試行錯誤しながら成長していく様子を追体験できる。そのぶん、人生の金言がそこかしこに。 付箋を貼る量は一番多くなりそうです。 要するに、才能をつかいつくしたあとに、ある富を手にいれて自己満足のうちに生涯をおえるか、自己のむこうにある自己をさがしあてる、いわば個人の才能ではどうにもならぬ冒険を無形の富と考え、邁進することで一生をつかいはたすか、である。 —どちらが得か。 と、考えれば、結論はあまりにもあきらかである。が、どちらが、おもしろいか、といえば、計算の外にある人生のほうがおもしろい。 —そうか。困難を求めてゆけばよい。 困難を避けると、いつまでたっても自分というものがわからない。そのあいまいさと同居している自分が、的確な判断をくだせるわけがない。困難と格闘すれば、その困難に勝とうが負けようが、心身の力をせいいっぱいふるったことで、目的や対象との距離があきらかになり、自分の能力の限界を描きだせる。知恵とはそのつぎに生ずるもので、つまり知恵のある人とは、無限の能力を誇る人のことではなく、有限の能力をみきわめた人のことではないのか。 ー積土の山を成さば風雨興り、積水の淵を成さば蛟竜生ず。 はじめのころに孫に語ってもらった教えのなかで、そのことばが呂不韋は好きである。人は日々小さな努力を積み重ねてゆくと、ついに山のような巨きさになる。そうなるといままであたりに風もなく雨もなかったのに風雨が起こるようになる。水も深くなければ蛟竜は住めない。人の学識や度量もそうであろう。ひとりの人が改革を外に求めず、内に求めることによって、おのずと外が変わる。人間を信ずる絶大さがここにはある。 ーわたしは運がよい。 と呂不韋はおもう。奴隷にされるという最悪なときに、孫のようなすぐれた先生にめぐりあえて、教えをうけることができた。人の力を過大に考えるわけではないが、努力を積み重ねてゆけば、人はおもいがけない力を発揮するようになる。自分が自分におどろくようにならねばならぬ。不運や不遇を嘆き、他人の薄情さを怨んでいるうちは、自分が自分を超えていない。努力が足りないあかしである。ほんとうの高みに登れば、展望がひらけ、風が変わる。人の世の風も変わるのである。 「理由のないことは起こらない。自分からでていったことは自分にかえってくる」 と呂不韋は孫子にさとされたことがある。 未来は起こるのではなく、起こすものであろう。自分の現在と過去からでていったものが、未来としてかえってくるのではないか。 呂不韋はそうおもいたい。

さてさて。こうして読んでみるとたしかにヒントは見つかったような気がしますが。。
あと1か月、じっくりゆっくり考えることとしましょう。
10月は、つい最近10巻が発売されたばかりの「三国志」も通読してみようと思います。
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陽はまた昇る


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佐藤正明

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ビジネスの話で、「デファクトスタンダード」がテーマにあがると必ずと言っていいほど例に挙がるVHSとベータの開発物語。
すごくいいですね、この映画。
どこまでが事実に基づいているのかわかりませんが、VHSが相当土壇場まで追い込まれていたとは知りませんでした。

この映画のハイライトは、何といっても西田敏行演じる事業部長の事業への情熱が、チームを一丸にし、本社経営陣を覚悟させ、さらには競合メーカーまで説得する、というストーリーなんだと思います。
僕も大きな組織に属すようになってわかりましたが、ものすごいエネルギーが必要ですよね、これ。
自分のやりたい方向性が組織の「空気」と反対を向いている時って、ほとんどの人に話が通じないし、説得できないし、動いてもらえない。
この映画の前半での渡辺謙がそういう役なんだと思いますが、大企業で働く人ってすごくリスクに過敏だと感じます。変に目立って失敗するよりは、おとなしくしてたほうがいいって人がすごく多いように思います。
当時もそうだろうし、選択肢の増えた今の時代に大企業を選ぶ人はなおさらそうなのかも。
そういう人たちを、ビジョンと、情熱でひっぱって、少しずつ巻き込んでいくというのは、途方もないことで、僕はだいたい話の通じない人にあうと興味を失います。こんなやつらとやってられるか、と。
組織で働く以上は、それじゃだめだなと最近痛感。けっきょくビジネスって人ですからね。
ただしそれは、人情味を持たなきゃということではなく、情熱を持たなきゃということのような気がする。ようは情熱を持てる仕事のしかたをしないといけない。

一方で、経営陣側に立ってこの映画を見ると、これって複雑な映画ですよね。
本社の役員(?)が、「このVHSが成功しても、君の仕事の進め方は間違っている」と西田敏行演じる事業部長に話す場面にそれが集約されていると思いますが。。
先行きのわからない事業への投資をどこまで継続するのか、逆に言えば、撤退基準をどう設定するか、というのは、経営する側からすれば非常に重いイシューだと思います。
開発は当然自分たちの技術を我が子のようにかわいがり、思い入れを持っているのでまずやめようとしないし、事業の撤退となると、それまでその事業に携わってきた人の努力をある意味無に帰すわけですから、その反発は相当なものです。
かつて事業のリストラプロジェクトをやった時も、撤退を提案された役員が怒りにまかせて罵声をあびせる中で撤退を決断できる経営者もいれば、あと一年、あと半年、とずるずるひっぱってしまう経営者もいる。
不採算事業の延命は、企業全体の業績に致命的になるケースが大半で、今回のように逆転ホームランを打てるのは本当にまれ。
今回のケースは、消費者ニーズをしっかり理解していて、だからこそ開発のエゴではないのだ、という見方はできるかもしれませんが、それも結果論かなとも思います。
僕は冒頭で「VHSがここまで追い込まれていたとは知らなかった」と書きましたが、裏返せば、ここまで追い込まれる前に撤退の意思決定をするだろう、と思ってたからなのかもしれません。

あと1つ思ったのは、父親がいい仕事をすると家族の絆は深まりますね。
子どもたちが父親の背中を尊敬のまなざしで見ていたラストは印象的でした。
背中で語れる父親を目指さねば。

本当にいい映画でした。
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写真展めぐり


連休中は6つの写真展と国際的な写真の見本市であるTokyo Photo 2011に行きました。


野口里佳「光は未来へ届く」(IZU PHOTO MUSEUM)

「小さな宇宙と大きな宇宙、微視と巨視を行き来する独自の視点で、野口里佳は不思議さに溢れたこの世界を写しとります」

なるほど彼女の写真は被写体との距離感が独特。
被写体に親しみを持っているわけでもなく、かといって距離をおいているような冷たさはなく、遠くから被写体が身を置く世界を温かく包むような写真。
光をすごく大切にしているんだと思いますが、光に全てを語らせるわけではない。
こういう写真を撮るのは難しいなぁ。。自分と世界との向き合い方だと思うんですよね、この撮りかたって。
「写真から表現意図が読み取れる写真」と「そうでない(読み取りづらい)写真」とに分類するとすると、野口里佳は後者だと思う。


ロバート・フランク「Flower Is」(Gallery Bauhaus)

「The Americans」が超有名なロバート・フランク。実際の写真展で見たのははじめて。
以前に、書店で「London/Wales」という写真集を見たことがありますが、その中に作品を選ぶ前のベタ焼きの写真があって、それがすごくおもしろかったです。
プロの写真家がどういう撮り方をして、そこからどうやって作品を選んでいるのか、少し垣間見ることができますから。
今回の写真展でも、ベタ焼きの写真が、自動車工場のとパリのとそれぞれあって、それがよかったです。


川鍋祥子「空に…」(アップフィールドギャラリー)

すごく感じのいいギャラリー、すごく感じのいい写真家さんでした。
写真も女性らしい視点だな、と。野口里佳はコンセプチュアルですが、川鍋祥子さんの写真は主題がはっきりしてたように思います。
テーマが祭りだったから、というのもあるのでしょうが。
最近たくさん写真みるので、男性的な写真とか女性的な写真とかってのは、やっぱりあるなぁと思います。


橋口譲二「Hof ベルリンの記憶」(銀座ニコンサロン)

ベルリンはベルリンでも、旧東ベルリンの写真。
ドイツに住んでいた頃、ドイツ人たちが「彼は旧東の人間だから…」と話すのを聞いたことが何度かあり、統一から20年近くたってもまだ名残があるものかと驚きましたが、実際に東ベルリンやドレスデンなどの旧東ドイツの街は今でも当時の面影がはっきりと残っています。
画一的な集合住宅、シンプルで無機質なデザイン、大戦での爆撃と今もなお修復されない爪跡…そういった東ドイツのキャラクターが写し撮られた写真展でした。
海外国内問わず、いろいろな街をこれからも訪れて写真を撮りたいと思ってますが、単にきれいな写真を撮るのではなく、その街のキャラクターを想起させる写真が撮りたいな、と再認識。


宇野亜喜良 沢渡朔 立木義浩 寺山修司 森山大道「SCANDAL2」(BLD GALLERY)

時間がなくてほとんど見れませんでした。残念。。


長島有里枝「What I was supposed to see and what I saw」(1223現代絵画)

有名な方なので楽しみだったんですが。。ちょっとよくわかりませんでした。
花ってモチーフとして解釈が難しい気がしますね。
もう少し写真の数があれば違ったのかもしれませんが…あれで500円か…うーーーん。。


Tokyo Photo 2011(東京ミッドタウン)

写真の見本市ということで、日本の著名なギャラリーがブースを構え、海外のバイヤーが買い付けをするシーンがちらほら。
写真ってしっかりアートとして取引されているんだと実感。まだまだ規模は小さいのかもしれませんが。。
河西春奈さんという写真家の作品が好きでした。
こういう規模の大きいイベントもいいですが、ちょっと見きれないですね。。一枚一枚見るのに頭使うし。。


まさにPhotography weekend。全部つきあってくれた妻よ、ありがとう。
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ご無沙汰しております


久しぶりに書こうと思うのですが。。何から書いたものかわからないですね。

今日のランチは広尾の「太桜」という中華料理を食べました。
かつてこのあたりに住んでいた、妻のお父さんに連れて行ってもらったのがきっかけのこの店。
古くからあるんだろうなーという店構えで、味もよく、広尾では考えられないお手頃な価格ということもあって、それ以降も妻と足を運んだり、一人で食べに行ったりしてます。
毎回餃子タダ券くれるんですよね。もう最初から餃子セットなんじゃないかって気がしてきますが、タダ券あると行っちゃいますよね。
同じように考える人が多いのか、店は食事時はもちろん、今日は夕方4時くらいに行ったのに全てのテーブルが埋まってました。
4人組の学生さんがいて、彼らは餃子チケット持ってない様子。

「担々麺に餃子をつけたら1050円かぁ。。うーん。。」

次回からは餃子のこと気にせず注文できるよ。これで君も常連だ!
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