もう昨日のことになりますが、誕生日をむかえ、30になりました。
写真はフラワーケーキ?とでも呼ぶのでしょうか、妻がプレゼントしてくれたものです(花なので、食べられません)。
30歳の誕生日はこれまでと違う気分なのか?と何人かに聞かれましたが、実はまだ30歳という実感がありません。
ただ、30歳というのがどういう年齢なのかを考えることはあります。
1つは、「若いのにがんばっててえらいね」「若いのにすごいね」と言われる年齢ではなくなったこと。
例えばクライアントに年齢を聞かれ、20代と答えていたときは、なんとなく上のような反応があって、悪い気はしなかったものですが、もうそんなこともなくなりそうだな、と思うと少しさびしい。
と同時に、これからは一人前の大人として扱われるのだ、もはや若さは言い訳にできない年齢になったのだ、と気持ちをあらたに一層がんばらなければならない、と思ったりもします。
30歳の時、僕の両親は何をしていたか。
父が30歳の時、僕は既に生まれていて、1歳でした。
さすがに1歳の頃の記憶はありませんが、写真で見る限り、今の僕と似たような大人加減の気がします。
まあ、既に子どもがいたわけだから、父のほうがだいぶ大人なのかもしれないけど。
その3年後、母が30歳の時、僕は4歳。幼稚園に入った頃です。
今僕に幼稚園児の子どもがいたら、と考えても、全く想像力が働きません。
当時の母は、30という節目に何を思ったのだろう?
子育てが忙しくて、それどころじゃなかったのだろうか。妹も生まれてたし。
何しろ親のことを考えても、30というのがどんな歳なのか、いまいちピンと来ないのです。
一方で、最近はおもしろい話があります。
というのも、僕と同年代の連中が、入社した会社で偉くなったり、起業したりで、「一緒に何かおもしろいことをやらないか?」という誘いをよく受けるのです。
いわゆる一般的な転職活動をしたりせずとも、こんな感じで次のキャリアを想像する機会が最近すごく多い。
少しずつだけど、僕らの世代が、会社の中軸になって物事を動かしたり、起業して新しい価値を提供したり、社会を動かしていく、変えていくことができるようになってきたのだと実感します。
そういう意味で、30というのは、社会から与えられるのではなく、社会を変えていくべく主体性をもう一段高め始める時期なのだ、そのように思うことはあります。
僕は社会に何を問うていくのか。
話は変わり、ここから先はただの自慢ですが、そんな30歳の記念に妻がプレゼントしてくれた手料理は、それはそれは最高でした。
中でも僕のお気に入りは、「ホタテとイカ、トマトのファルシ」。
最近のマイブームである、「細部の繊細さ」にあふれた一品でした。
妻は、出会った当時から料理が上手でした。
しかし、僕が驚いているのは、「出会った後も、ものすごいペースで料理が上達しまくっている」ということです。
レパートリーはどんどん増えるし、味は繊細になるし、盛り付けに至っては昔の写真とは比べ物にならないほど。
ドイツでのつらい料理環境が彼女を育てたのでしょうか。とても幸せなことです。
そして、ますますの成長を期待せずにはいられません。
自慢ついでにもう1枚。↓は昨年のクリスマスディナーで登場した「バターライスと牛肉ステーキをstaubで」。
これも僕のお気に入り、三ツ星メニューの1つです。