人生訓その2は、「2. 日々の積み重ねが未来を形成する」です。
ーわたしは運がよい。
と呂不韋はおもう。奴隷にされるという最悪なときに、孫のようなすぐれた先生にめぐりあえて、教えをうけることができた。人の力を過大に考えるわけではないが、努力を積み重ねてゆけば、人はおもいがけない力を発揮するようになる。自分が自分におどろくようにならねばならぬ。不運や不遇を嘆き、他人の薄情さを怨んでいるうちは、自分が自分を超えていない。努力が足りないあかしである。ほんとうの高みに登れば、展望がひらけ、風が変わる。人の世の風も変わるのである。
「理由のないことは起こらない。自分からでていったことは自分にかえってくる」
と呂不韋は孫子にさとされたことがある。
未来は起こるのではなく、起こすものであろう。自分の現在と過去からでていったものが、未来としてかえってくるのではないか。
呂不韋はそうおもいたい。
と呂不韋は孫子にさとされたことがある。
未来は起こるのではなく、起こすものであろう。自分の現在と過去からでていったものが、未来としてかえってくるのではないか。
呂不韋はそうおもいたい。
一日に千里を走破する馬に乗ってしまった者は、一日に五十里しか走らない馬にいらだつであろう。しかし呂不韋は千里の馬に乗ろうとはおもわない。五十里の馬が二百日歩きつづければ、一万里のかなたに到着する。歩きつづけることのほうが大切なのである。呂不韋はそう信じている。
呂不韋はある時期、秦の捕虜となり、奴隷として穰邑に連れていかれるのですが、そこで孫子(荀子)と出会います。
奴隷にまで堕ちた自分に絶望していた呂不韋でしたが、荀子に出会い、荀子から学ぶことで努力し続けることの尊さを知り、以降の彼はとにかく未来に向けて歩みを止めずに進み続けます。
小さな努力の積み重ねで彼は最終的に秦の丞相まで昇りつめ、さらに理想の世界の実現にむけてそこから努力し続けます。
仕事にしても私生活にしても、とかく我々は一足飛びに結果を求めがちで、なかなか結果が出ないことは途中で諦めてしまいがちですが、ゴールを見失わずに少しでも近づいていこうとすることがどれほど重要か。
誰しもそうやって掴んだ成功体験を持っているのに、新しい困難や挑戦にあたるとそのことを忘れてしまいがちです。
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