2 days in Tokyo



一風堂のラーメン、世界最高峰の鮨、さぬきうどん、コンビニの高級おにぎり・・・どれも絶品でした。
たった2日間ですが、まさに満喫した、という感じです。

成田から都内に向かう電車から外を眺めながら、ふと思ったのが、日本の田園風景というか、緑のある風景は、すごく落ち着くなぁ、ということ。
人の生活空間と、(ほぼ)ありのまま残された自然が、見事に調和していて、そこに生活空間があることも、そこに自然があることも、その両者が共存していることも、全く違和感がない。
「自然との共生」とはこういう世界観のことを言うんだろうし、それが日本流の自然との距離感なのだと感じました。

なぜこんなことを思ったかというと、ヨーロッパ流の自然との距離感は、日本と全く違うから。
ヨーロッパでは、自然は「共存するもの」ではなく、「征服するもの」だという考え方が根底にあり、街づくりをとっても、管理された自然が生活空間に取り込まれている印象です。
公園は巨大だし緑は多いしで、一見なかなかわかりにくいけど、よくよく観察すると、どれも植え込まれていたり、不自然なまでに整えられていたり(シンメトリーな樹木や花木が多い)、ということに、今回の帰国を通じて気づきました。

こうした違いが生じる背景は、諸説ありそうです。
1つは、光(太陽)と水に恵まれた肥沃な大地を持つ日本に対し、ヨーロッパ(特にドイツ)は天気が悪いため光に恵まれず、痩せこけた土地が多いため、「自然をありがたがる」という考え方がない、つまり共存したい対象ではない、という説。
1つは、地震や台風などで生活を粉々にされることも多い日本では、自然とは人間よりはるかに大きな存在、大いなる自然であり、抵抗してどうにかなるものではなく、むしろ共存する道を歩んだのに対し、自然災害の少ないヨーロッパ(特にドイツ)は、自然は戦って征服できる相手だと捉えた、いう説。
他にも、キリストのみが神であり、神であるキリストに対してのみ誠実であろうとするヨーロッパの宗教観と、万物(当然自然も含む)には神様が宿っていて、八百万の神様を崇める日本の宗教観の違いも大きいと思います。

そう考えると、これからは環境の時代だとひとことで言っても、実はその受け取め方は西洋と東洋でずいぶん違うのかもしれません。
日本の環境問題の捉え方は、まさに「自然と共存できる世界こそがあるべき世界」という発想だけど、西洋は、「人間が生きていくために自然を守ってあげる/育ててあげるしかない」という発想なのかも。
ということは、例えば、環境を保護しなくても人間が生きていける方法が見つかったとしたら、ヨーロッパはあっさり環境への取り組みをやめるけど、日本やアジアは理想の世界観に向けて自然を守り続ける、みたいなことが起こるのかな。

なーんてことを考えた、2日間の東京滞在でした。

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