経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか 野口 悠紀雄 東洋経済新報社 2010-04-09 売り上げランキング : 42202 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日本経済のこれからを考える上でよいインプットをくれた本。非常に有意義な読書。
日本が製造業依存から脱却しなければならないと言われだして久しい気もするし、ものづくりこそ日本の強みという論調が今でも根強いような気もしますが、僕個人としてはやはり製造業依存から脱却しなければならないように思います。
(厳密に言うと、アッセンブリーまでを自分でやるというモデルとしての製造業のはもうやめたほうがいいし、自社ブランドにこだわる必要もない、ということ)
アッセンブリーは労働集約的で、人件費の高さがネックになるし、この本に書いてあるとおり歴史的にも製造業は一人当たりGDPが相対的に低い国が、通貨価値が相対的に安いことと相まって世界を牛耳っているのだから、そういう意味でも日本の役目は終わったのでしょう。
製造業という意味では、以前に書いたように、「Appleのiphoneの利益の約35%は日本企業が取っていて、それは他のどの国よりも多く、iphoneが売れて一番もうかるのは日本」みたいな中間財でもうけるビジネスモデルが理想だと思ってます。
「細部にまでこだわる」といわれる日本人気質は、完成品でやっちゃうと「過剰スペック・高コスト」という負の側面に陥りがちだけど、部品とか素材レベルでは「高い技術力に裏打ちされたキーデバイス」といったようなプラスの側面が作用する可能性が高いように思うので。
一方で僕は、ドイツ駐在時の日常生活での体験や、欧米人の同僚との会話から、日本の最大の強み(欧米人が真似できない、かつ尊敬していること)は"politeness"や"hospitality"だと実感し、であるがゆえにサービス業の海外輸出を今後のキャリアディベロップメントの柱に据えようとまで考えているのだけど、ここでいうサービス業ってなんだ!?というのが問題。
というのも、politenessやhosipitalityと聞いてすぐに思いつく産業は観光・ホテル業だったり外食産業だったりですが、問題はこれらの産業がどちらかというと労働集約的で、労働生産性が低く、たとえ製造業からこれらのサービス業に産業構造を転換したとしても、国の生産性を上げることにつながらなさそうなのです。
politenessとかhospitalityって人の性格として蓄積されていくものなので、素直にアウトプットをすると労働集約的なサービス業、となるのはある意味当然なのですが、それではだめだというのを本書を読んで再認識させられました。
人がそのままやることではなく、そういう人たちだからこそできる産業だったり、プラットフォームだったりに転換できるといいのですが。。
医療とか、アニメやコミック含むコンテンツとか。。このへんは引き続き考えていきたいと思います。
シンガポールなんか上手に国を発展させてるなぁと感じるので、一度しっかり勉強してみるべきですね。
(以下備忘録)
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【序章 なぜ歴史を振り返るのか】
80年代においては、社会主義経済の失敗が明らかになった。中国も工業化した。これは、製造業に関する条件を大きく変化させるものであった。それまで社会主義経済圏に閉じ込められていた膨大な数の労働者が、資本主義経済の枠内に参入し、その結果、製造業の生産コストが大幅に低下した。
【第1章 現代世界経済の枠組みが1970年代に作られた】
石油ショックとは、さまざまな財・サービスの相対価格が調整されていった過程である。
「価値の基準であり続けたのは、金との兌換停止によってペーパーマネーとなってしまったドルではなく、金であった」と考えれば、原油価格は格別に上昇したわけではなかったのだ。むしろ「金表示の原油価格が不変に保たれた」と言うべきであろう。
石油ショックとは、原油という特殊な財の価格が変わっただけの過程ではなかった。むしろ通貨の価値が金との関係において、またさまざまな国の通貨間で、調整された過程だったと考えることができるのである。
日本と西ドイツが石油ショックに対して適切に対応できたのは、経済システムの優劣ではなく、むしろ、日本もドイツも通貨が増価した国であったことだ。そしてイギリスやイタリアの通貨は減価した。ドルに対して増加した通貨の国では、原油価格上昇の影響は緩和されたことになる。
西ドイツでも日本でも、戦災によって戦前からの工場の多くが失われた。しかしそのために、新しい技術体系にあった新しい工場を造ることができた。技術が大きく変化した世界では、生産性向上のために、そのほうがかえって望ましかったのだ。それに対して、イギリスやアメリカは、戦前の古い技術体系(蒸気機関)から完全は抜けだせなかった。
高度経済成長の基本は、農業経済から工業経済への移行なのである。
50年から70年にかけての人口成長率は、イギリスでは13%だったが、西ドイツでは28%に及んだ。人口成長率が高ければ、それだけで経済全体の成長率は高くなるが、若年者が多いために労働生産性も高まる。また高齢化に伴う社会保障負担が低くなる効果もある。
日本や西ドイツでは間接金融中心で巨大銀行が存在し、工業化のための資本供給で重要な役割を果たした。
企業の重要決定に労働者が参加する共同決定法の背景にあるのは、階級意識が希薄であるドイツ社会の構造だ。
全体主義的・集計的体制は、新しい情報技術の下では効率が下がるだけでなく、生き延びることすらできない。社会主義国家の崩壊は情報技術の転換とほぼ同時期に起こっているのだが、これは偶然ではなく、必然だった。
(メインフレームコンピュータから分散的情報処理システムへ)
【第2章 経済思想と経済体制が1980年代に大転換した】
70年代のアメリカは、経済面でも政治面でも、最悪の時期を経験していた。
社会主義が保守的になってしまったのは、イギリスだけの特殊事情ではなく、むしろ共産圏において顕著な傾向だった。ソ連だけでなく東欧諸国においても、超高齢者が権力の座に座り続けていた。そして、「体制を変革するには気が遠くなるような努力が必要なので、そのままにしておいた」のである。
サッチャーが目的としてのは、既得権に守られた国内産業を支援することではなく、むしろそれらを排除し、競争力のある効率的な産業を育てることだった。重要なのは企業の国籍ではなく、企業のビジネスモデルであり、その遂行能力であるとされたのだ。
TINA(There is no alternative to market)は、「市場が完全無欠だ」とか、「市場はすべての問題を解決する万全の手段だ」などと主張しているのではない。市場システムに原理的な問題があることは、十分に認識されている。「市場を代替する資源配分のメカニズムは、存在しない。少なくとも、社会主義経済や国営企業は、市場の欠陥を是正する手段にはなりえない。だから、やむをえず市場システムに依存するしかない」というのがTINAの主張である。
イギリスでもアメリカでも、国力が落ちるところまで落ちれば、強力な政治家が現われて国と経済を改革する。ソ連でも同じことが起こった。これは、経済の自動調整機能にも似たメカニズムである。
広大な国土に広がる経済活動のすべてを把握することなど、誰にもできない。だから、いかに深刻な病に陥ってもコントロールできない。「社会主義経済は経済運営に必要な情報を伝達できない」ということこそ、ハイエクによる計画経済批判の中心的論点だが、まさにそのとおりのことがソ連で起きていたのだ。
共産主義国家は検閲と情報遮断が統治の基本
ドイツ再統一は、ドイツ没落の始まりだ。その理由は、東西間の経済的格差が大きすぎたことだ。
それまでの開発途上国は、経済成長のため、輸入に頼っていた財を国内で生産することを目的とした。しかし、輸入品に比べてコストが高くなり、結局は経済発展が阻害されることとなった。こうした失敗した国の典型がインドだ。中国が行ったことは、これと反対だ。国内需要とはあまり関係のない分野で輸出産業を興し、それをテコにして経済発展を行おうとした。
【第3章 ITと金融が1990年代に世界を変えた】
80年代の日本の生産性は本当に高かったのだろうか?日本企業の利益率(営業利益/総資本)は、高度成長期の8%から、80年代には5%程度にまで落ち込んでいたのである。こうなった基本的な原因は、欧米諸国との賃金格差が解消され、さらにアジア新興工業国との競争が始まったことだ。
ユーロとは、ドイツに鎖をつけ、強いマルクを引きずりおろすための装置にほかならない。
証券化は、「各ローンの破綻は独立に起こる」との仮定だ。景気が悪化して住宅価格が下落するような、すべての借入者が同じような影響を受けるリスク、すなわち市場リスクに対しては証券化は機能しない。
これらの資産がどれだけの価値があるものかを評価する「価格付け」が最も重要なところだが、最も重要なところでファイナンス理論が使われず、「格付け」という不完全な手法が使われた。
保険は分散投資の一種なので、個別リスクに対しては機能するが、システマティック・リスクに対しては機能しない。それに対して、CDSはシステマティック・リスクに対しても機能する。
【第4章 1990年代はアメリカとイギリスの大繁栄時代】
アメリカの製造業の雇用者は、07年には1343万人まで減少した。雇用者総数に占める製造業雇用者の比率は、10.1%にまでなった。経済全体に占めるウエイトが、40年間に3分の1近くに低下してしまったわけである。
80年代のアメリカ経済におけるサービス産業化の過程では、生産性の低い対人サービスが増えたのではなく、新しい技術に支えられた生産性の高い高度なサービスが増えたのである。
中国の工業化という大きな経済条件の変化に対して最も重要なのは、「中国ができない高度の経済活動」に特化してゆくことである。
イギリスが復活したのは、金融による。「ビックバン」がもたらした「ウィンブルドン現象」による。つまりイギリスの金融立国は、それまでのイギリスの伝統的な金融機関が成長して実現したのではなく、プレイヤーが交代して外国からの選手が入ってきたために実現したのだ。
イギリスでもアメリカでも、大学や研究機関が継続して強かった。イギリスの製造業は没落したが、自然科学の基礎研究では、イギリスは継続して世界をリードしていた。また、経済学などの社会科学の面でも、イギリスは世界の最高水準を維持した。
「脱工業化」とは、高度なサービス産業への移行であり、それを支える高度の知的活動が必要だ。そのベースには、ITの進展や金融革新がある。イギリスやアメリカの脱工業化は、決して地に足がつかない浮ついた動きではないのである。
従来の世界経済では、先進国から開発途上国に対して直接投資を行うというのが、普通のパターンであった。80年代以降の中国の工業化の過程でも、そのような投資が進展した。しかし、イギリスで生じた現象は、それとは異質の新しい動きである。それは、先進国から先進国への直接投資だ。それによって、金融の新しい活動などの新しい経済活動が起こったのである。これを、「21世紀型のグローバリゼーション」と呼ぶことができる。
ニューヨーク市場での金融取引規制強化や、9・11テロ以降のアメリカの反イスラム風潮やテロ警戒の強化を産油国が嫌い、歴史的につながりの強いイギリスを選好するのだろう。さらに米企業改革法の結果、きびしい規制を嫌った外国企業の一部が、上場市場をロンドンに移した。
アイルランドが急成長できた要因として指摘されるのは、教育と海外からの直接投資である。
法人税引き下げは、国内企業の税負担を下げるためのものではなく、海外からの投資を受け入れるためのものだ。
いまやアイルランドは、ITの世界的ハブになっている。
アイルランドの教訓はきわめてシンプルだ。「高校と大学の授業料をゼロにせよ。法人税制を簡素化・透明化し、税率を引き下げよ。外国企業に門戸を開け。経済をオープンにせよ。英語を話せ」
「90年代の発展は、ヨーロッパの周辺国において実現した」のは、英語力と無関係ではない。小国には自国語で大学の教科書を作るほどの人口はいないから、高等教育の教科書はどうしても英語になる。それだけでなく、日常の仕事でも英語が不可欠だ。
【第5章 未曾有のバブルとその崩壊:2000年代】
日本が外需依存で経済成長したのは、02年から07年にかけての特殊事情だ。日本の貿易依存度は、もともとそれほど高くない。高度成長の最も大きな牽引力は、国内の設備投資だったのである。
賃金が上昇しないので、景気回復の実感はほとんどなかった。この間に格差が拡大したといわれたが、それは賃金が上昇せず、その半面で高所得者の所得である資産所得(株価上昇)が増大したからだ。これは外需依存経済成長がもたらした必然の結果だった。
アメリカ人は、なぜビッグ3の自動車でなく、日本車を買ったのか。言うまでもなく性能がよくディーラーのサービスがよかったからだが、それだけではない。この間に円安が進行したことが大きな理由だ。
重要なのは、この状況が危機以前の水準に戻ることは、期待薄であることだ。なぜなら、現在の事態は、バブル崩壊によってもたらされたものだからだ。バブル時代の水準が、長期的な傾向からみれば高すぎたのであり、それが元に戻っただけだ。
アメリカ一極集中が終わるといっても、中国やインドが、アメリカなしで独自に経済成長できる段階に達しているわけではない。これまで、中国は輸出先として、インドはITアウトソーシングの発注元として、それぞれアメリカに強く依存して発展してきた。その基本構造は、今後もかなりの期間継続するだろう。
ITも金融も、基本的な技術がアメリカで生まれ、アメリカで発展してビジネスになった。今後も、金融やITにおいてアメリカが世界を先導することは、ほぼ間違いない。
「高賃金であるが高い技術力を持つ」という日本の比較優位を生かす国際分業の姿は、機械などの資本財や部品などの中間財の輸出に特化することである。
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