3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書 (708)) (2008/03) 城 繁幸 商品詳細を見る |
ハタから見れば、僕なんかは平成的価値観を持つアウトサイダーなのかもしれない。
新卒で入社したのは外資系戦略コンサルティングファーム。年功序列や終身雇用とは無縁の、完全実力主義の世界。死に物狂いで働いて身につけた問題解決スキルと経営ノウハウという高い専門性のおかげで、今ではどこに転職してもまあなんとかなるだろうと思うし、ドイツに来たことで英語に対するコンプレックスも以前ほどではなくなった。
もちろん会社にしがみつく、という感覚は持ちあわせていない。今の自分が一番成長できるフィールドがここにあるというだけだ。
しかし、自分自身を振り返ると、僕は決して波乱万丈の人生を望んでいるわけではないし、社会を変えたいといった湧き上がる思いがあるわけでもない。
むしろ、平凡で穏やかで、落ち着いた人生を望んでいるような気さえする。そう考えると、コンサルタントという仕事を選んだのも、「どこに転職しても通用する」という”安定”した将来を手にしたいがためだったとすら思えてくる(もちろん、現時点でのスキルなど長い将来を約束するものでも何でもないのだが)。
なんと保守的なことか。。
したがって、僕は著者の言うアウトサイダーではない。
決定的に違うのは、僕は「自分なりの価値観や社会に対する思い」が、自分でもよくわからないままキャリアを重ねているということ。そもそも僕は、何者かになりたくてコンサルタントになったのではない。単におもしろそうだからというだけだ。
そして、「自分なりの価値観」がないことこそが、今の自分の最大のジレンマである。たしかにキャリアの選択肢はいろいろあるが、いろいろあることに逆に甘えてしまい、自分が本当にやりたいことや、自分が何者でありたいかを真剣に考えることから逃げてしまう。
それでも今の会社はいろいろと成長の機会を与えてくれるので、結果的にキャリアとしては順調に見える。しかし、これはまさに会社に依存して生きていることに他ならず、昭和的価値観の典型である。
自分なりの哲学がないということは、人間としてのエッジに欠けるということだ。
人と話をしていて、圧倒的な個性や存在感を残すことができない。むしろ人間としての深みが欠落している気さえする。
「そういう意味では、スコッチに似ているかもしれない。回り道や畑違いの経験を積み重ねることで、後から風味が出る、そんな気がします」
本書で登場する、グローバル企業のエリートコースからバーテンダーへ転身した男性のコメントが印象的。
人生を色鮮やかで風味豊かなものにするためには、たとえそれが遠回りになったとしても、コンサルという枠を出て新たな挑戦をしかけていかなければならない。
踏み出すタイミングとしては、早いどころかもうぎりぎりなのかもしれない。
1 コメント:
色々考える時間があったのかな。
「人と話をしていて、圧倒的な個性や存在感を残すことができない。むしろ人間としての深みが欠落している気さえする。」
よしくんは初対面でものすごいインパクトを与えるわけではないけれど、話していくうちにどんどん人としての深みを分からせてくれるよ。その経過が心地よく、信頼を築くに必要な時間のようにも思います。
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