The Masai Mara

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ライオンに襲われ息絶えたバッファロー、
チーターに襲われたばかりのトムソンガゼル(=写真)、
摑まえた小さな鳥を離さないハゲワシ…。

ケニアとタンザニアの国境に位置するマサイマラ国立保護区は、肉食獣と草食獣がともに生息し、その数もケニア随一を誇る。
ここでのルールは、まさに「弱肉強食」。
当たり前のことだが、当たり前のことが当たり前に繰り広げられている日常をお目にかかったのは人生で初めてだ。
下半身を喰われたバッファローと、それを見張るライオン、さらに高い木の上から虎視眈々とライオンの隙を窺うハゲワシの群れが織り成す光景には恐怖すら覚える。

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「生態系」というのは本当によくできている。

ライオンはバッファローやヌー、シマウマなどの大型動物を狙い、チーターはトムソンガゼル、トピなどの小型動物を狙う。
食べ残しはハイエナやハゲワシが骨まで食べつくす。
特定の動物だけに食事が偏ることがない。

草食動物でも、背の高いキリンは高い木の上の葉を好み、象は木の足元の葉を好む。
シマウマやバッファロー、ヌーは草原の草を食べながら共存する。
やはり特定の草が食べつくされ、砂漠化することがないように棲み分けられているのだ。
��アンボセリの砂漠化は象が流入しすぎたことが原因らしいが・・・)

中学校の理科で習ったようなことが、目の前の現実として機能しているのである。
目の前でそのしくみの美しさを体感すると、そこにある地球の神秘に神々しさを感じてしまう。

マサイマラは自然界の大原則をまざまざと見せつけ、同時に"動物"としての人間がいかに弱いかという現実を我々に突きつける。
この世界では、我々の命は数日と持たないだろう。

人間の存在意義を「考えることにある」と喝破したパスカルの言葉も、今はからだの芯から理解することができる。
ケニアの旅は本当にいろいろなことを考えさせてくれた。


「人間はひとくきの葦にすぎない。
自然のなかで最も弱いものである。
だが、それは考える葦である。

彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。
蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。
だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。
なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。
宇宙は何も知らない。

だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。
われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。
だから、よく考えることを努めよう。
ここに道徳の原理がある。」
��「パンセ」(347)より)

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