アジア三国志 (2008/06/06) ビル エモット 商品詳細を見る |
今後のアジアの巨大な可能性と、そこで覇権争いを繰り広げるであろう中国、インド、日本の3国についてその現状と今後の展望、リスクを語ったのが本書。
身近な中国とインドで何が起こっているのかが(かなり冗長だが)よくわかるのと、特に日本がどう見られているのか、を知るきっかけとして興味深い一冊。
いろいろと気づきはあったのだが、最大の発見は次の点。
「OECDによる日本の実質GDPの予想成長率は1.4%にすぎない。つまるところ、日本の労働力はいずれ縮小するのだし、この10年間の生産性成長は微々たるものだった。1991年から2001年まで年間1.5%だった生産性成長率は、2002年以降は2%に上昇した。だが、経済が回復しているなら、ふつうはもっと速い生産性の成長を示す。なぜなら、それは企業が労働者を増やさずに生産を増やしている証拠だからだ。この経済サイクルのあいだに1.5%から2%の小幅な上昇では、基本的な部分が変わったとはとうていいえない。もっと画期的なものが必要だ」
日本の強みとしてよく語られるものの1つに、「トヨタ生産方式」「カイゼン」「見える化」などに代表される、生産性の高さがある。
現場の生産性が極めて高く、不良品率が低く、結果として製品品質が高い。実際、Made in Japanは壊れにくく、消費者にとっては、最初は高くても、長い目で見るとお買い得、というのは世界共通の評価である。
日本企業、特に製造業は、これこそ競争力の源泉とばかりに、現場の生産性向上/品質改善にさかんに取り組んできたし、「日本の強みはものづくり」といった論調も数多く見てきた。
実際僕は、直接目にしたわけではないが、日本企業の生産性というのは、すばらしく高いのだろう、という印象を持っていた。
しかし。
「生産性成長は微々たるものだった」 - というのが、世界から見たこの10年の日本の評価なのだ。
ここで言う「生産性」は、もちろん工場の生産性の話ではなく、広義の労働生産性という意味だが、いずれにせよ、日本企業が血眼になって取り組んできた、狭義の(工場の)生産性向上が、広義の生産性向上に与えるインパクトがわずか1-2%でしかない、と言う事実の意味するところを、我々は先入観を排して再考すべきではないだろうか。
奇しくもこれは、「日本企業の目指す姿」について、僕がここ数ヶ月感じていたこととまさに同じだった。
狭義の生産性向上はたしかに大切だし、日本の強みの1つであることは間違いないが、それによって得られる「付加価値」は、世界から見ればごくわずかでしかない。
ヨーロッパにいて強く感じるのは、世界的に見て、バリューチェーン上の「生産」という役割は、もはや日本に期待されている役割ではない、ということ。
この分野では、労働コストの安い中国や台湾への期待が圧倒的に高いことは明白であり、iPodのような、値崩れのしない商品ですらも、生産を担っているのは台湾企業であるというのが現実だ。
日本品質がすばらしいもの、誇るべきものであることは認めつつも、「生産」というものが本当に日本が担うべき役割なのかどうか、今一度考え直してみる必要があると思う。
では、日本企業がこれから目指す姿とは何なのか。
筆者は「もっと画期的なものが必要だ」と述べるに留まっているが、ここからは我々の出番だ。
これについては、また別の機会にゆっくり書きたいと思うが、もしかするとそれは、製造業の一部のファンクションと、むしろサービス業なのではないかと最近は感じている。
「世界の中の日本」というのは、ドイツにいるあいだの僕の自由研究テーマの1つなので、折に触れ考えていることをここに残し、考えを進化させていきたい。
1 コメント:
夏休みの宿題みたいだね[絵文字:v-232]
お休みなわけでもないのに、君は偉い!
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